崩壊する縦の関係と、再生する横の関係。

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権威の失墜により、縦社会は崩壊していく一方です。個人の関係性においても、組織の中においても、縦の関係性は根幹から揺さぶられています。容易に変わらない組織もたくさんあるので、揺さぶられながらもやむを得ず体裁を保ちつづけていくよりない、そういう世界では引き続き表面上の権威も保たれていくでしょう。しかし、それははりぼてにしか過ぎず、実のところは抜け殻になっていくことでしょう。

一方で、横の関係は新たな再構築がはじまり、どんどん密になっていき、年月とともに堅固さを増していきます。いかなる権力もそれを無視することはできなくなり、実質的に権力そのものが分散化し、小さな集団でもそれなりの権限をもって機能できるようになっていきます。もっとも責任も同時に発生します。それはプラスに作用し、自浄効果になりますので、組織が腐敗する可能性はとても小さくなります。
新しい時代の横の関係においては、立場、役目、年代、性別の障壁はありません。個々が自発的に自分に最適の役割を担うようになります。誰も支配しませんし、管理しません。それでも全体が有機的に機能できます。それぞれは単細胞生物のように、実にシンプルに行動するだけなのですが、不思議と全体が調和してひとつの生命体であるかのように機能します。魂というのはもとより調和した世界に存在しているので、そういうことは原初から可能なのですが、人類がつくりあげた歪んだ文明と低い精神性が、私達の本来の可能性を歪め、封印してしまっていたのですね。その封印が解かれ、本来人間が持っている、あるがままですべて調和していく能力を発揮できる時代になったのです。

その為には、ひとりひとりが自然体であるがままの自分らしい生き方を一日も早く、実現することが大切です。自分が変われば未来が変わる、ということです。誰かが変えてくれるのを待っていたり、誰かが始めたら自分もはじめようではだめで、自分らしい生き方を見つけ今すぐに始めることが大切です。皆それぞれ持ってうまれた資質も、魂が望む方向性も違うのですから、最初は皆がてんでばらばらになり、右往左往することでしょう。混乱でというより混沌がすべてをうめつくします。しかし、混沌は本来は完璧な秩序でもあります。すべては元々法則性があり、大いなる摂理のもとに動かされているので、私達それぞれが自我を超越し、真理と一体になる真我の境地に至れば自ずとすべて調和していくでしょう。

あまり理屈っぽいことばかり書いていると、頭でっかちになってしまいそうでいけませんね。自分はどうすればいいのだろう、と考えてはいけません(笑)。

あるがまま、自然体の自分で生きる、というのは考えることではなく(少しは考えたほうがいいですが、なにごとも過ぎるのはよくありませんから)、そのまま「生きること」です。生きる、というのは食べることであり、寝ることであり、作ることであり、保つことであり、壊すことであり、楽しむことであり、悲しむことであり、失うことであり、得ることであります。失望することでもあり、希望を得ることでもあります。未来を見失うことでもあり、光を見つけることでもあります。そして、これらは一人ではむずかしいことばかりです。これからの時代は一人でいることが一番、不調和になるかもしれません。

一人でいる時間が長すぎる方は、一日もはやく助けをもとめましょう。また、もしもあなたの周囲に孤立している人がいれば、声をかけてあげてください。そうやって少しずつ、つながりましょう。つながってさえいればいいのです。整然と倫理的につながろうとする必要はありません。私達は元来、誰とでも手をつなぐことができます。つながり続けることが大切なんです。あきらめず、ねばりづよく、です。そうすれば、自然に秩序が生まれます。混沌はやがて美しいハーモニーとなり、すばらしい交響楽が地球から宇宙全体に発信されるようになるでしょう。地球が宇宙の中心になれるかもしれません。

昼下がりの競技場にて「真の強さ」に思いをはせること。

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散歩の途中、陸上競技会をのぞいてみた。高校生ってこんなに若々しいのね、と感じてしまうあたりにいかに自分が長く生きてきたのか、を実感してしまう。しばらくレースをみていたら、スタート前に順位がわかってしまうことに気がついた…。なんでも分かるんでしょう?と勘違いしないでいただきたいのだ。そうではなく、これはオーラをみれば誰でもわかってしまうだろう。それぐらい若々しい彼らの肉体からは、日々の練習の成果や、何度も大会に出場して積み上げてきた実績が、とても素直に反映されていて、わかりやすいのだ。もっともっと鍛えあげて戦績を重ねていくと差もなくなっていくのかもしれない。その日のコンディションに影響される要素もあるだろうけれど、スタート前にほぼ順位は決まっているといってもよさそうだ。

現実社会では、やむを得ず私達は競うことがある。どんなに避けたいと思っていても、時に力と力がぶつかりあい、決着をつけざるを得ないことがある。不可抗力というのは誰にでもありえる。まったく悪意がなくても身を守る為に、正当な力の行使をせざるを得ない。それは本質的には罪ではないので多くの場合は魂のカルマにはなりにくいだろう。が、心はすさむだろうし、精神的には重荷になってしまう。自分も相手も傷つくし、周囲も悲しむかもしれない。結果の重さの程度にもよるが、時に多くの人の人生を奈落の底につきおとすレベルの出来事も起き得る。いつの時代も生きていれば、戦いにまきこまれるリスクはあるものだ。完全な平和を人類はまだ一度も手にしていないのかもしれない。

競いたくない。

その思いがあり、受験の時は小さくなっていた気がする。受験勉強をしていて、なぜか罪悪感がつのる。自分が受かると、誰かが落ちるんだよな、と思うと、なんだか勉強に身が入らない。かといって自分が不合格になっては親にも応援してくれているじいちゃん、ばあちゃんに申し訳ない。そう思うから、仕方なく勉強してきた気がする。大人になってからも、なるべく人と競いたくないから他人と競合しない仕事、ポジションを求めていたように思う。人と違うことをすれば競わなくて済む、そんな思いが根底にあったから自然にクリエイティブな方向へと進んでいく後押しにもなったのだろう。

今も、もちろん誰とも競いたくない。勝ちたくもない。でも負けたら悔しいとは思うけれど(笑)。競わない生き方をしていれば悔しい思いはせずに済むだろう。だといいな。

そんな日曜の昼下がりの円山競技場で真の強さとはなにか、を考えてみました。
真の強さ、とは継続的な努力と、公正な競争を通して勝ち抜いた誇りによって得られるものだと思います。
継続は力なり、といいますが、それによって公正な戦いに挑む基盤が得られるでしょう。
そして、公正な競争(スポーツ、学問、ビジネス、家事、育児、アート、芸能などあらゆる領域)において賞賛を得たものが受け取れる、高潔な誇りを得たものが、美しくしなやかな強さを得るのでしょう。それは現実においてのみならず、魂にとっても誇りとなり柔軟な堅固さとなり、来世にまで受け継がれるものになるでしょう。

人生、できるならば輪廻転生を超越する強さを得るべく、努力を重ね、成果を示し、賞賛を得たいものです。

カードがきづかせてくれた自分の姿。

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カードはその人の心からのメッセージ。時に優しい、そして時にするどい気付きを与えてくれます。

私は自分がなにものなのかを知っている
私は自分がどこに向かおうとしているのか知っている
生きることが苦しいのではなく、自分らしさを見つけ出すのにほんのすこし手間取っているだけに過ぎない
私は弱く、小さい存在だと思われているのかもしれないけれど、
本当のわたしはとても自然だし、あるがままに存在している
時はけして私に優しくはない。厳しくて、せちがらくて、おいたてるように流れる。
けれど、私はけして時に流されてはいない。
遠い昔から、私は自分らしい生き方だけを追いかけてきたから
こういう生き方には本当は慣れている。
だから同情されたいとも思わない
時に心は寂しくてしおれるけれど、私は大丈夫。

カードはこうして私の本当の姿をみせてくれた。
だからもう私は大丈夫、自分らしく生きられる。

悪意が善意で、善意が悪意かもしれないこと

他人から悪意を向けられると辛く、時にいたたまれず、消えてなくなりたいと思うものだ。逆に、他人から善意を向けられればありがたいし、居心地がよいのでいつまでも甘えていたくもなる。

人生で人との関係性から学べることは本当にたくさんある。どんな場面でも、その背後にかくされた意図を読み解くことで、人生がより意義深いものになる。人間関係は本当に気づきの宝庫だといっていいだろう。

時に悪意の背後に愛があるものだ。そして、善意の背後には思わぬエゴが隠されていることだってある。

どちらにしても思わぬ背景に気づいた時に、その「なぜ」がわかれば、人生の有り難みに心から感謝できるというもの。

いつかかなえたい夢を追うよりも、今幸せな気分になれることを追いかけることの大切さ

ヒーリングの勉強会でよくお伝えするのが、過去に体験したストレスは「現在形でエネルギーとして体内に存在している」ので、それを見つけ出して浄化すれば、過去のとらわれは消滅させられる、ということなんです。私達の脳は、過去のできごとを「何年ぐらい前のできごと」として、過去のアルバムに整理することができます。でも、実際には過去に味わった感情は、ある程度沈静化はしますが、特に整理されることなくそのまま体のなかに残っていて、ちょっとした刺激ですぐに活性化します。やっかいないのは、それが活性化した時に「脳はすでにそのことを忘れている」ので、いったいなぜ自分が落ち込んでいるのか理解できなくなることです。このようにして、私達は押し殺した過去の感情に気づかないうちに振り回されているものなのです。

いつか願いや夢がかなうといいな、と強く念じていて日々を送っているつもりでも、全身のエネルギーがその願いに向かって前進している状態なのかどうか、自分では正確に判断は難しいかもしれません。もしかすると後退していることだってあり得ます。いつか遠い未来のことを念じている時、忘れさったはずの過去に影響を受けているかもしれません。

いつか遠い未来のことより、今すぐ少しでも幸せな気分にひたれることがあるのなら、すぐに実践してみてほしい。散歩でもいい、おやつを買いにコンビニにいくのでもいい。いつでも誰にでもすぐに実践可能なちょっと幸せな気分になれることを、いますぐに行動にうつせない理由はないはずなのです。自分の為になることを少しでも行動にうつして実践できたなら、少しずつ大きな幸せにひたることを実践していく。そうしているうちに本当にかなえたい大きな願い事の障害になっていることがなんなのか、見つけ出すこともできるでしょう。

※私達の感情も想念もすべてエネルギーであり、その強さや周波数の他に、体のどの部分でどのように発現しているかを分析すれば、その人の人生の傾向がわかります。また過去に蓄積してきた経験値はもとより、解決できていない葛藤やトラウマもエネルギーとして現在形で体内に存在します。それらを分析し、調整することができれば問題は解決できるはずです。エネルギーヒーリングはこれから少しずつ科学的に検証され、誰でも客観的に感情やトラウマを理解でき、改善することができるようになるでしょう。そうなれば人間は科学の力によって「悩まない」力を習得し、対立することもなくなるでしょう。科学がいわゆる悟りを私達に与えてくれる。そういう時代は…いつかきっとやってくる。そんな気がしています。

※過去の辛い苦しいできごとは、消すことができる。記憶から消すのではなく、そのエネルギーを消すことができる。記憶は消す必要はないし、消えるものではない。思い出しても辛くなくなる、その状態がエネルギーとしてその苦しみは体のなかから消え去ったのであり、二度とよみがえることはない状態です。本当のエネルギーヒーリングというのはそこまで過去の感情にアクセスし、浄化することができるものです。

今お伝えしたいこと:おそれと向き合うこと

「おそれ」を克服する、乗り越える。このテーマについては、何度か書いているかと思いますが。あらためて「おそれ」について。特に「自分の本質を探求することへのおそれ」について。

何年も悩んで悩みぬいて、いよいよ煮詰まってご相談にいらっしゃる方がたくさんいます。その内容は皆それぞれ違います。でも共通しているのは、その根底に「魂が持って生まれた命題」が隠されていることです。人はみな、無意識領域でかなり深く、ものごとを考えています。自分では考えているつもりはなく「自然にどうしてもそういう考え方をしてしまう」という感覚があります。もともと私達はかなり、偏った考え方のパターンを持っています。これは無意識領域で、魂がいつも考えているから起こる現象です。それ故に、すごくがんばってしまう、背負ってしまう、歯を食いしばってしまう、本音を押し隠してしまう、流されてしまう、孤立してしまう…などの様々な精神的な葛藤がうまれます。そしてそのことを「人にわかってもらえない」と感じます。また「人に言えることじゃない」とも考えてしまいます。なぜか自然に「そうなるべくしてなってしまう」のです。

人は何かと苦しみます。葛藤が増していきます。でも、どこかで「こんな人生嫌だな」と考えたり「もっと楽に生きたい」と考えます。そんな葛藤をもつことはストレスになり、他者にたいして嫉妬や羨望を持つことになり、時に感情の爆発につながってしまう。そんな時は罪悪感や自己嫌悪に苦しみ、自己存在の否定につながり、消えてしまいたいとも思うようになります。

苦しみから開放されたい、楽になりたい、と思うことはごく自然なことなのに。なにかがブレーキをかけて、それでも苦しい選択をし続けてしまうことがあるのです。その背後には魂の意思が隠されています。

こういった内面の葛藤を人に打ち明けるのは勇気がいります。そして、打ち明けた結果、自分を否定されることをものすごくおそれます。もう精神的にはぎりぎりのところでがんばっているのですから。もっとがんばれとか、あなたが悪いと言われたら、もう立ち直れませんし自我が崩壊してしまうかもしれません。そんなおそれを抱くことが時にあるものです。

けれど、ものごとには限界があるのです。特に私達の心には、もうこれ以上無理、というボーダーラインがあって、それを越えてまで自分に無理強いをすると、心は崩壊してバランスを失います。そうなってしまっては自分を立て直すことができず、家族や社会のお荷物になってしまいます。そうならない為に、もはや選択の余地はなくなっていきます。

おそれとむきあい、自分自身のあり方について、真偽を問うのです。

自分という存在はなにものなのか、なにを目指しているのか、どう生きるべきなのか。答えを知りたいと願うことからはじめてみてはどうでしょうか。望むことがまず知りたい答えに近づく第一歩です。

今、抱えている大問題は、魂が取り組むべき大切な命題とは違うかもしれない

これは長年の経験から申し上げたいのですが。
人は生きていると、様々な葛藤にぶつかります。仕事や人間関係、健康、金銭問題、心の不調和、実に現実的で様々で、それでいて「泥沼のごとくはまって抜け出せない」苦しみというのがやってきます。

しかしながら、そういったおおきな苦しみ、悩み、葛藤の種というのは過ぎてしまえばそれまで。一時的なものにしか過ぎないことが多く、耐え忍んでいるうちは、神頼みもするし、楽になれるならどんな努力でも厭わないと思っているのに。いったん、問題が遠のいて少しゆとりができると…。だらしないいつもの自分に戻ってしまいます。

人間は本当にエゴのかたまりでできています。いくらちゃんと努力しよう、人間を磨こう、魂を愛や光の波動で満たそうとしても、煩悩に勝つことは簡単ではありません。

これはとても厳しい言い方になりますが。どんなに苦しい時でも、悩める時でも、それにとらわれず「自分が産まれてきた本当の意味」について考え、あるべき方向を見失わないでいることは、人としてとても大切なことなんです。

辛い、苦しい、と訴えた時に「それがどうした」と切って捨ててくれる人こそが、あなたに必要な本当の霊的な指導者である可能性が高いと思います。依存したい時に、いくらでもさせてくれる人も、たしかに欲しいのですが(誰だってそんな人が必要です)。それだけでは、魂は磨かれないのかもしれません。

今世から来世にむかって、よりレベルアップを果たす為に必要な心がけはなんなのか

さきの記事で、「より深い鑑定をはじめる」という主旨のことを書きました。それなら、なぜ最初からしっかり掘り下げたアドバイス(鑑定)をしてくれないのだろう?という声もきこえる気がします。

それは、ひとつにはほとんどの方は、とても苦しく、悩んだ上でご相談にみえるので「すべてを一度に受け止める心のゆとりが持てる方は少ない」という事情があります。ひとまず、当座の葛藤や問題を乗り越え、すこし気持ちにゆとりが持てるようになる時期を待つ必要があります。

また、これは非常に絶対的な理由でもあるのですが「その方が受け止め切れない情報を伝えることは、守護霊様から禁止されている」のです。この掟をやぶることはできません。そもそも、ご本人の為にならないのです。時と場合によっては、本当に厳しく厳命される場合もあります。人それぞれ前世が違い、今生の因縁の強さも違いますから、ひとりとして同じ事例はありません。なにをどう伝えるべきか、というのは、その都度、その時のタイミング、その方のお気持ちの状態、さまざまな要因を総合的に判断し、その特の最善のアドバイス(鑑定)としてお伝えしています。

それなら、改めて相談に出向いても、深い鑑定結果にならないかもしれなじゃないか。

その通りです。改めて深く鑑定しても、なにも出てこないかもしれません。でも、上辺だけのお気持ちでご来訪になられたらやはり、準備が整っていないと、情報が止められてしまうかもしれません。結局、私達は前世から、今世、そして来世へと連続した流れのなかに存在しているので、さほど今すぐなにかをしなければ!という切迫した事態に遭遇している確率は低いのです。

それでも、ここ一番、この方は、あるカルマ解消、あるいは因縁解消の取り組みをすることで、大きく人生が好転していかれるだろうな、と感じる場面があるのです。「ものごとには最善のタイミング」が存在します。その時を逃すと、来世に持ち越しになるでしょう。その時は、今なのか、もう少し先なのか、今生ではもうこないのか。そういった流れを俯瞰して見つめるような鑑定から入ります。自分がいま、どのあたりにいるのか、という感触はつかむことができるでしょう。

もう時代はとてもスピリチュアルなことにオープンになってきました。

単に、前世はなんだったのか?というご相談にとどまらず、その先、つまり今生から来世にむかって、よりよいレベルアップを果たす為に、必要な心がけはなんなのか。こういった問いかけをお持ちになっていらしてください。

心からお待ち申し上げております。

より深い鑑定に取り組みはじめます、皆さんの人生の好転の為に必要なことです。

夏至と七夕もすぎて、一年もなんとなく折り返しだなぁという感じがしてきました。季節は真夏といっていい暑さですが、このピークをすぎれば季節はいっきに秋へと移行してしまうのですから。つぎのシーズンにむけての心構えも必要ですね。

光のサロンも、13年目というサイクル。カウンセリングもずいぶん年月重ねてきました。そこから見えてくるものもあり、今後はもっと深く皆様の人生を掘り下げ、しっかりと結果をつかんでいただけるような方向性で取り組んでいこうと考えるようになりました。

その為には、お互いの歩みよりが大事です。

そのうえで私はより深い、鑑定をします。が、その結果、皆様には年月を重ねて取り組む課題が浮上します

これまでは、何年もかかるような宿題を出すにはしのびなく、当座の事態が好転するようなアドバイスに徹してきました。が、これからは「年月がかかってもいいから、深くしっかり人生の好転方法について鑑定してほしい」旨のご依頼であれば、たとえ10年、たとえ一生の宿題が浮上しようとも、勇気をふるってお伝えしていこうと思っています。

宿題といっても…大変な宿題ばかりではなく、意外と楽しんで取り組める宿題がでることもおおいです。そういう方向性であれば、ちゅうちょなくお伝えしてきたのですが。やはり、がんばったり、努力したりが求められることを、しかも年月やりなさいという言い方は、普通はできません。

でも、重いご病気をなさる方、家庭不和が絶えない方、なにをやってもうまくいかない方に関しては、根深い問題が隠されている場合があります

多くの場合は、レイキを習得してもらい、実践し続けてもらうことが改善しました。が、前世からもちこしてきた深いカルマに関わること、先祖の因縁に関わること、土地の因縁に関わること、これらはどうしても、深く鑑定し、長い年月をかけて取り組んでいただくより、好転の手段がありません

さて、具体的には、ご相談にこられる方の自己申告に頼らざるを得ません。よりしっかり、ふかく人生に取り組みたい、年月をかけなければいけない命題があるとしても、しっかり受け入れるつもりである。そういう意思表示をなさってください。これまで何度もお会いしている方であっても、すべてをお伝えしてきてはいません。ご本人の準備が整う日がこない限り、お伝えすることが許されない情報も多くあります。

皆さんからの改めてのご相談、お待ちしてます。

このメッセージの続きの記事も是非、ご参照ください。

今日の徒然:言語の不思議

暑くなってきましたね。水分摂取も大事ですが、暑い時は水分だけ取り過ぎないようにご注意を。体内の塩分が薄くなりすぎると良くないのです。スポーツドリンクも手軽ですが、自分で調合することもできますよ(適度な砂糖と塩と水でつくれます)。電解質が不足すると、体調を崩しますし、仕事にも集中できませんから、無理せず、体をしっかり守りながら日々を乗り越えていってください。

ところで。

世界中に様々な言葉があります。皆さんはどの言語がお好きでしょうか? なんて妙な質問ですが…。この言葉が話せたらいいなぁ、と。個人的にいつもぼんやり思っているのはヘブライ語、タミル語、あたりかな。あとはギリシャ語とか。読み書きでいえばサンスクリット文字がさらっと書けたらいいなぁ。新しいところでいえばなんといってもフランス語。あとは別格でアイヌ語とか、ナバホ族の言葉とか。でも、世の中にはとんでもない天才がいまして。こういった古今東西の言語を何十ヶ国語も独学で話せるようになってしまった若者がいます。本当に人間の可能性というのは、はかりしれないですね。

私達は地上に生まれ変わる前に、とても長い時間をかけてどんな国、どんな民族、どんな社会のなかで生きていくのか、しっかり検討してくるわけですが。何語を話すことになるのか、というのもかなり大きな要因です。魂との相性もあります。英語は世界中に普及しているんだけれども、霊界での評価は、もっとも覚えやすい、話しやすい言語である、とされていますね。コミニュケーションを通して多くを学ぼうと思うと英語を選択するケースはとても多いわけです。