智慧ある言葉

ほんとうの智慧ある言葉とはどんなものだろうか。
慈愛、思いやり、希望、光にみちたものだろうか。
可憐で優しく美しく連なる言葉だろうか。

しかし、失意の底にある人に対して希望や勇気を呼びかけるのは時に残酷である。
あと一歩、励ますだけで葛藤から脱皮できる人に、厳しく叱咤するのはあまりにも浅はかである。

ほんとうの智慧とはなんだろう。
それは大きな視野を持つことではないか。
そして、その視野の広がりが相手の行いすべてを許しているかどうか、ではないか。
そうすれば、その言葉は時に辛辣な批判であっても、甘い愛の言葉であっても、必ず豊かさや幸福の波をひきよせるものとなるだろう。

しかしながら、狭い視野から放たれるもの、けして他者の行いを受容しているとはいえないもの。それらはおそらく人を惑わせ、かえって苦しめるだろう。そして、その苦しみの連鎖がやがて愚かな智慧を解き放った者へも因果とてかえってくるだろう。

私たちはいつでも、まず自分自身に昨日よりも、今日、今日よりも明日、自らを磨きあげ、努力していることを課していかなければならない。自らを受容するということ、自らを大切するということと、魂の修行の為に精進を止めないことは同時にバランスよく保つべきだろう。人生はとても難しい。簡単ではないからこそ、人生なのだ。美しいものや優しいもので満たすこと、支え合うこと、慈しみあうことだけでは不十分なのだ。