龍が如く立ち昇ること

もうかれこれ100年ぐらいになるのでしょう。私の先祖が月山のふもとから道南に入植して寺をひらいた。どういういわくがあるのかわかりませんが禅宗のお寺なのに、龍神が祀られていました。どうしても一度、そこを訪問したくて親族にお願いして建物に入らせてもらいました。誰にも受け継がれなかったご神体に出会いました。

その数年後、導かれるように月山(出羽三山)で修行された先達とのご縁があり、瞑想、加持祈祷、護摩祈祷を学び、滝行に取り組みました。数年の修行の後、さまざまな潜在能力が開花し、人生が本当に素晴らしい方向にいっきに好転しました。それから今に至るまで、たくさんの良いご縁、お導きを受け取ることができています。

たくさんの神仏のご加護をいただいてきました。そしてもうひとつ、私にとって欠かせない、大切な力。それは龍神さんの存在です。この世界でこの人生を歩む上で、血であり肉であり命そのもの。これらすべての源です。いくら言葉にしても簡単にお伝えできる話しではありませんが、この宇宙は神仏の世界ではありますが、この地上の命はすべて龍神さんに属しております。

私の魂のルーツのなかに長く自然神と向き合いながら祈りや病気治療に関わっていた時代もあり、見えないエネルギーの世界や高次元の世界を、自然に属するもの、高次元の光に属するものという二面的にとらえています。あちらとこちら、上と下、眉間とハラ、という対比でしょうか(全然違うような気もしますが、表現しきれる話しではないので単なる例えにしか過ぎません)。
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魂が健全であろうとするなら、前世より持ち越したあらゆる因縁の解消が必須。また精神と心が健全であろうとするなら、血に受け継いだ先祖の因縁の解消が必須。それにより現世の荒波を乗り越える準備が整う。また、自らの血と肉の源流である自然神に帰依し、調和のある行いを積み重ねること。これらすべてが滞りなく実現されるなら、この世のあらゆる穢れ、災いにとらわれることなく、あるがままの自然体で輝き、調和と発展の方向へと人生はおのずと好転していく。

といったような不文律が私のなかにあるのです。
人よりもすごくスローペースに見られたり、怠惰にみられたり、マイペースにみられたり(自分でも困ったものだと思うことしばし)。それも、魂や精神のリズムではなく、自然神が支配しているこの地上世界の根源のリズムに乗っ取らざるを得ないからなんです。

そんな私が言うのですから、相当にこれは意味があることです。

今年は地球が変わります。日本も変わります。北海道の大地も変わります。皆さんの環境、体、心、精神、すべてが変わります。つまり魂にとっては素晴らしいチャンスなんです。

今、取り組むべきことにしっかり取り組み、上昇の運気をつかんでください。最善を尽くしてサポートいたします。

光の種を蒔き続けること

森に出向いても、まだまだ春は遠いようにみえます。緑のない世界しか目にはいらないとしても、未来は必ずやってきます。そしていつか、素晴らしい世界が開花します。この世界には、闇と光がしっかりバランスよく存在しているのですから、どんなに地の底に落ちたとしても、必ず這い上がれます。

年末、救急搬送された時、本当に苦しい症状が数時間続いていて、いったい何故このような試練をお与えになるのかと神様についつい訴えてしまいました。やがて観音様が現れました。その後、しばらくして少しずつですが症状が収まっていったのです。もっとも、一方ではCTを受けさせられたりしてそれはそれでなかなか苦痛ではありましたが…。

いついかなる時でも神仏は見守ってくださる。そのことを改めて理解できた体験でした。

人間、日々辛いこと、苦しいこと、不安なことがない日がありません。物心ついて、やがて大人になっていくにつれ、物事が本当に重く、しんどく感じられることのほうが多いものです。そこに気づきもあり、成長もあり、救いもあります。

これからの時代は間違いなく試練の時代です。だからこそ、そこに光が宿ります。皆の心のなかに、体のなかに、光がともり、お互いを明るく照らすことができます。すべてが光に充ちた世界は実現するのです。そのようにひとりひとりが自由意思で選択していけばよいのです。

苦しいなぁと思う時、苦しい生き方の意味を私達は真剣に考え、向き合います。でもそれ以上、苦悩のなかに気づきも成長もないとわかった時、もう苦しまないという選択ができます。

今日から苦しい生き方を選ばない。そのように皆さんそれぞれの自由意思で選択してください。それが地球を救う未来につながります。皆さんの明日を皆さん自身で変えていきましょう。
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それぞれの天命を知り、あるがままの人生を生きるお手伝い

これからの時代、盤石なものがすべて崩壊していきます。
これはあまりにも無情という他はないのですが、この時代の定めです。避けられません。

この無常な宿命にいつ気づいていたかというと、私は生まれつき物事に悲観的で、いつか世界は滅びるかもしれない、という幻想にずっととらわれていました。それは単に自分が誰よりも神経質で、すべてにおいて過敏な性格故だと思っていました。(もっとも実際、かなり神経過敏ではありますが、それはそれ。) スピリチュアルな世界で自分と向き合い、歳月を重ねてきて、この幻想が自分だけの妄想ではないということがはっきりしてきました。

ものを言う時はそれが正しくなければいけません。

私は見えない世界にどっぷり浸って、それでいて「正しいことだけ伝える」ということに執着してきました。霊感を持ってはいますが、自分の感覚をすべて正しいなどと信じてはいません。常に疑っています。感覚などというものは日々揺れ動き、変動するものです。かといって機械で測ることができない。であるとしても「検証」し続けることは非常に大切です。自分だけの感覚ではなく、他者の見識を求め、自分の感覚と符合しなければ、自分は正しくないかもしれません。ずっとそうやって自分だけが見えている、感じているのではなく、宇宙の真理として正しいとわかったことだけお伝えするようにしてきました。
だから、なにごとにも時間がかかり、待ちきれない人達はどんどん離れていきました。それでもいいんです。

私は誤ったことを伝えて人を惑わせ、人生を遠回りさせるような導きを与えるぐらいなら、自分を消したいと思う性質なのです。

そんな私が確信を持って伝え、行い、共に進みましょうということは間違いなく正しい。それは私の生き様を少しでも知っている方ならご理解いただけることでしょう。

幸か不幸かなんともいえませんが、私が昔から妄想だと思っていたことは、単なる妄想ではありませんでした。

これから時代は大きく変わります。すでに舵はきられた。地球という大きな船の進路が変わったのです。あとはどこまでもこの変化は次第に大きくなっていくばかりで、止むことはありません。

すべてが変わります。

小さなことから巨大なことまで。

精神的なことから、現実的なことまで。

個々のパーソナルな内にひめたことから、世の誰でもが関わる仕組みに至るまで。

あらゆるものが同時に変化していきます。

昨日まで盤石だったものが壊れていく。どうしようもない流れが始まりました。

さて、私達はいかにして向き合えばよいのでしょうか。
その方法をまず、心をひらいてくださった方に順次、お話していきます。

神仏はこの時代に、さらにますますその加護のパワーを強めておられます。
ひとりひとりに必ず導きがあります。私はその橋渡しをさせていただくだけです。

あなたにとってのあるがままの生き方とはなにか。
あなたにとっての天命を受け入れた生き方を具現化する道とは、いずれか。

私はそれをお伝えしていきます。
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神無月二十四日の雑記:ミカエルと共に

長崎を訪問している知人から素晴らしい画像が届いたのでおすそわけです。ミカエル天主堂の本日の空模様。この空のエネルギーがとても清々しく感じられました。

ミカエルの名を冠した建物といえばモン・サン・ミッシェルが有名です。長崎の、しかも小さな島にこのような建物があるのは不思議です。強い信仰をもつ人達がそこに集まったのは、いかなる輪廻のいきさつがあったことでしょう。時空をこえたドラマがかいま見えるようです。

魂は生まれかわっても、前世で持っていた信仰を失うことはありません、それどころか、より強め、深めていきます。信仰が強くなればなるほどその人達の祈りは清められ、光の波動と共鳴しはじめます。そのような土地、建物には本当に真実の光が宿りますし、訪れる人々を導く、高次元との通信施設のような役目を担うようになります。ここもしだいにそのような波動を放ちはじめるのでしょうね。

その為に、多くの人達の無償の行いの積み重ねがあったのです。みなさん、本当にごくろうさまです。おかげで私達は今こうして高次元の光を地上に広げゆく一端を担うことができています。

これからも光とともに歩んでいきたいと思います。
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高くて遠い青い空の下で生かされている私達

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空をみても、心が晴れない。そんな日々が続きます。
こんなに青いのに、こんなに広いのに。自分の心はそうじゃない。頭上に広がっているのに、すごく高くて遠い青空。

なぜみんなの心が晴れないのかなぁと、毎日そればかり考えています。
自分になにができるのかなぁと。

でも答えはみつからない。
きっと、特効薬はないんだと思います。

だってひとりひとりの悩みはみな違うのだし、
心は目に見えない形のないものだし、日々の生き方でどんどん変化していってしまう。
外から直接ふれてあげられない。

たとえ自分がひろくておおきな青い空のようになって包んであげることができたとしても、
やっぱりその人の心は晴れないのだろう。

神様にもできないことがあるんだと思う。
だから、みんな神様に見離されたような気持ちになっているのかもしれない。

この地上が楽園になる日はずっとこないかもしれない。
でも生きていかなきゃいけないから。

雑草のような強さが欲しいよね。

Quantum nonlocality〜「祈りの力」

誰かの為に祈ることで、その人の人生を変えられる。

そのことを知っていますか?

こんなことをいうと、スピリチュアルはお気楽主義などといわれそうです。
でも、これは最先端の量子力学で現象として確認されつつあり、いずれ祈りの力が実証される日がくるかもしれません。

自分が思えば未来は変化する。誰かのことを思えばその人の意識や行動が変わるのです。
ということは、私たちは日々、誰かの強いエゴに思考をコントロールされている可能性もあります。
瞑想を通して雑念をふりはらい、良い思考だけを維持することで人生が好転することを瞑想を続けている人達は気づいています。
昨日までは運命は宗教が神の教えとして説いていたことですが、いずれ科学者が運命論を語る時代にシフトしていくことでしょう。

ちなみにこの原理を提唱したのはアインシュタインです(Quantum nonlocality)。

なりたいものになれる

誰だってなりたいものになれる。
だって、そう思う心は神様からの贈り物なのだから。

なりたいものに、ただなれると信じて、
明日の自分にただわくわくしていればいい。

けして未来の自分を疑わず、人に惑わされず、
ただなりたいものになれると思っていればいい。

どうすればなれるのか、なんて絶対に考えない。
考えることは悩むことだから。悩むことは神様の望んでいることではないから。

あなたは、きっとなりたいものになれる
ただそう信じて、おもいきり光を浴びつづけていればいい。

レイキとレイキではないエネルギーのはざまで

これはもしかすると以前、どこかで書いたのかもしれませんが、あまりきちんと意識して書いたことはないような気がします。

私が「レイキ」と、「それ以外のエネルギー」をどう使い分けたり感じ分けたりしているのか、についてです。これを説明するのはとても難しくて、中途半端に書いても誤解を招くばかりだし、意図的に伏せてきたともいえます。でも、それっぽいことを書いてみたり、レイキではないエネルギーワークをやってきたりしているので、なんとなく気づいている人は気づいているだろうし、そんなの最初からそうだと思っていたという人も多分いらっしゃるでしょう。

西暦2000年にレイキを学んだ時、これは素晴らしいものだと実感しましたが、それ以前から長年のさまざまな修行と神秘体験を通して感じていたエネルギーと比較している自分がいて、その違いはなんだろうとずっと研究してきました。最近になってやっとある程度の答えが出せるようになり、ここまで理解が深まれば教えたり伝えたりしていくうえで支障はないかなと思えるようになりました。ただ、そろそろレイキとそうでないものを分けて扱っていかないと、学んでいる皆さんに混乱を与えたり、誤解を招くおそれも出てきましたので、少しずつですが整理していきたいと思うようになりました。

私にとってはレイキはとても有効な手段でした。それそれによって素晴らしく心身が安定し、健康を回復しました。それは「めざましく変化した」といえるほど劇的でしたし、嬉しく有り難い体験でした。でも、私にとってレイキは「幾つもあるうちのひとつ」の手段でしかなく、これだけですべて満たされるということはありませんでした。

元々、私は霊的な感性があまりに鋭くて、森のなかにはいれば精霊の存在がわかるし自由に会話もできていました。人の背後にいる見えない存在たちの気配もいつも感じていましたし、自分が死んでいることに気づいていない方達ともたくさん交信をして、この地上のエネルギー世界をたくさん味わってきたのですが、そういった感受性故にとにかく疲れれていました。普通に生きることができないレベルまで神経を消耗しつつあったんです。それで厳しい修行を重ねていくなかで耐性を身につけました。その時に、たくさんの神秘的な技法(印やマントラ)を使ったんです。私は修験道で学びましたので、そこには古来からの秘技がたくさん伝えられているんです。それをひとつひとつ実践しながら自分に必要なものを選り分け、使っていくうちになんとか「自分と外側の世界」の境界線を確立することができました。そこからやっと宇宙とつながるというか、光の世界とつながるというところにフォーカスできるようになっていくわけです。その頃からアカシックレコードにアクセスできるようになりました。また高次元の意識(たとえば大天使たち)ともつながれるようになり、この世界の真理や、私たちの魂の由来について、神々の世界について学ぶようになりました。その探求のなかで、魂の輪廻の由来について無数の情報を受け取れるようになっていったわけです。

ですので、私のなかでは世間一般にいわれる「霊感」という感受性と、魂の輪廻の由来をひもとくアカシックリーディングに代表されるような「スピリチュアル」な感受性は、別々のものなんです。この段階ではっきりさせておきたいのですが、どちらの感受性もレイキでは活性化しません。根本的にレイキという技法がもたらす作用だけでは、霊感も、スピリチュアルな感受性も開花はしません。それぞれ相当な訓練も必須ですし、持ってうまれた資質も要因になります。まったく違う次元のものです。

私の定義では「レイキ」は心身をすみやかに浄化する為の本当に素晴らしいツールで、それ以上でも以下でもない。

霊的な世界と交信する人は、その為に自分のまわりに結界をつくることを学ばざるを得ませんし、霊感が弱ったり疲労した時に、それを回復する為のパワースポットを知らねばなりませんし、実際にそこに行かなければなりません。

アカシックレコードにアクセスしたり大天使と交信する人は、その為に必要なあらゆる環境を作らねばならないし、その感覚を維持する為に必要なあらゆる技術を磨かなければなりません。

それで私は霊的な感覚を守り、磨く為にパワーストーンをもっぱら用いることにしました。また、アカシックレコードにつながり大天使と交信する感覚を守り、維持する為に「光の技法」を学びました。そしてこれらを全般的に維持する為にレイキをほぼ完璧に使いこなしていると自分では思っています。私には必要なものすべてが必要だったのです。そして必要なものがひととおり私の手元に集まってきた、というより「与えていただけた」のです。どれかひとつ欠けても、今の私の能力を維持することはできなかったでしょう。

自動車がタイヤ、エンジン、ボディ、電子機器などの集合体であるように、私にもたくさんの技術が必要です。レイキは車でいえばタイヤとエンジンのようなものかもしれません。これがないとなんにもできなかったかもしれません。それぐらい素晴らしく有効なツールです。これからも磨き、使い続けていくでしょう。でも、ナビも必要だし、明るいライトやサンルーフも必要なんです。それらはレイキには含まれていない、けれど私には必要不可欠な技術なんです。

親には親の、子には子の葛藤がある

春休みで実家に帰省中の大学生が親御さんに連れられてご来訪になられた。親元を離れて一人暮らしをはじめるうちに、少しずつ人生について深く考えるようになったのだという。そして漠然とした不安にもかられると。

その子にはこれからの20年がどんな人生になるかを説明し、なぜそういう流れが用意されていたのか、なにを心がければよいのかを説明してあげた。その子にとっての人生の調和とはなにかをできるだけ具体的な例を取り上げたり、注意すべき項目を箇条書きにしたりして1時間しっかりレクチャーしてあげられたと思う。おそらくもうこの子は少なくともこれからの10年はぶれることなく生きていけるだろう。そこから先、また迷ったりすることがあれば…その時はまだ再会することになるのかもしれない。あるいは就活の時期にまた連絡があるかもしれない。

帰り際、親御さんともちょっと立ち話をした。いろいろご不安もあったようだけれど、なんの心配もないということを強調しておいたので、だいぶ安心していただけたのではないだろうか。

親は親で子を心配し続けるものだ。そして子は子でそんな親の気持ちをどう受け止めていいのか迷うもの。いずれわかることではあるけれど、わかってしまえば楽になれることもあるから。そこをお伝えできた時はよかったと思う。
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20年分も未来を透視してどうなの?はずれたりしないの?とご心配くださる方もいらっしゃるかもしれないけれど。こういう情報をお伝えすることについて私のなかにはなんの不安も怖れもない。だってこの力は私のものではなく、神様の愛だから。みんな愛されている。ただそれだけのことだから。お伝えできてよかったと心から思うし、ご相談者の未来が充実するように、共に見守っていきたいと思う。ただそれだけです。

癒えるには時がある

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長くヒーリングとカウンセリングを行っていて、最近では過去数十年にも渡る心の抑圧を解放するような取り組みができるようになってきました。そこに至るには、長い時間のカウンセリングのみならず、レイキの技法を用いながら独自のアプローチでヒーリングを行い、ご本人にも自主的にいろいろな取組みをしてもらうことで、最終的には自然に癒えていきます。

心は目にみえないものですが、感覚を磨いてくると手にとるようにわかるようになります。が、癒しには段階がありますのでけして急かすことはできない。だから、一律これこれこういう技法で何回のヒーリング(あるいはカウンセリング)で、過去のトラウマは確実に治りますよ、という言い方はけしてできません。その人の内面から自然に解放が起きていくものなので、その時々のタイミングにあわせた最適な取り組み方を提供していくだけです。

こういう自分の仕事をふと「樹医」さんのようだな、と感じることがあります。弱った樹木の土壌や環境を変えたりしながら自然に回復するのを何年もかけて待つように、人の人生には大きな流れがあり、そこから枝葉末節に細かく分岐していきます。でも大局を見ていないと、癒える力をうまく引き出すことができないことでしょう。

これまでたくさんの癒しの技法を垣間見たり学んでみたりしてきました。がいずれも断片的なもので、大局的にその人のあり方を根っこから治癒させる方向付けをもったセラピーに出会ったことがありません。おそらく、ひとつの技術だけでは無理なのでしょう。幾つものアプローチと技術とを駆使しながら、あとはタイミングを見計らってヒーリングを行ったりしていくと良い結果が自ずと導きだされます。

タイミングは宇宙との共鳴もありますので暦を星の運行の影響も考えながら読み取るようにしています。そうしていくなかで、人生では起こるべくして様々な出来事があるのですが、それらひとつひとつの答えを導きだしながら、過去の癒しにも取り組んでいく。

人生は過去からの流れが未来につながっていきます。未来をより上向いた方向にシフトさせたい場合は、過去からの悪影響を正すことも必要なんです。でも、人生には運命的に定められたイベント(出来事)も用意されているので、それを変えることはできない。けれど最善の準備をすることはできます。なにが起きるとしても最善であれば、きっと良い結果がでると思います。過去をリセットできれば、かなり人生の流れは上向いていくと思います。

私達は、日々多くの試練に向き合わざるを得ません。試練のない人生はないことでしょう。でも、向き合うべき試練と、向き合っても無意味なものもあります。過去の影響が、よく無駄な試練を引き寄せることがあるので、余計な枝葉は切り落としてしまったほうがよい。それだけでも前に進む速度が加速したりするものです。

皆さんに最善の癒しがもたらされますように、私なりに積み上げた技術と経験をすべて活かしてお手伝いさせていただければと願っています。