古典から次のステップへ

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月のサイクルを感じ、自然とつながり、改めて内と外のエネルギーを感じ直しているところです。
新しいマントラがひらめき、瞑想や呼吸法のなかで使い始めています。
使いこなせるようになるまで、また年月がかかるのかもしれません。
これからまた数ヶ月は、様々な修行の期間になるような気がします。

今年は、ヒーリングを改めて見直し、かなり技術を向上させることができました。
ここにきて、さらに次のステップにレベルを上げられないか試行錯誤をしていたところだったので、
たくさんの新しいヒントが得られはじめ、大きな手応えを感じています。

今年、トレーニングを受けた方には、劇的な変化を体験していただけたのではないか。
自分の印象ではなく、学んでくださっている皆さんからのご感想として、伝わってくるものがたくさんありました。
ただ、けしておごりではないのですが、ここまでは想定内でした。
私の思いとしては、ここから先、どこまで自分が進化できるのか。いよいよだなという気がしています。

瞑想法も、ヒーリングの技法も、今までは古典を大切にしてきました。
それは自分のエゴがでないようにする為でもありました。
音楽でいえば、モーツァルトをそのまま演奏し続けていたような感じでしょうか。
そろそろ、オリジナルの作品を演奏し始めてもよい時期なんでしょう。

いずれは独自のエネルギーワークを少しずつ始めていこうと思います。
その為の準備を、自然の聖霊達と共に始めさせていただいているところです。
(十分に独自なものを教えている、と思っている方も多いかもしれませんが、レイキに関しては、私は源流ではないのでして。そこをこれからは自分が会得した独自のエネルギーをお伝えしていこうという段階に進んでいこうと思いはじめたところです。それだけの感性が自分にはあると思います。ただ、その影響がはかりしれなくて、お伝えしてもよいのかどうなのか、長い年月悩んできましたが。十分に経験も積んできましたので、そろそろ大丈夫だろうという気がしてきました。具体的な時期は未定ですが、学んでいただける方はとても限られているので、告知するかどうかわかりません。)

夢見

悪い夢を見た、というご相談がたくさんいただくのですが、今まで鑑定してきた経験からいえば実際のところ、悪い夢というのはあまりないようです。
夢は、自分の心が見せるもので、本当に邪悪なものが近づいていたり、取り憑いていたり、などということは一般の方にはまず起きないといっていいでしょう。もし本当に悪いものが憑いているのなら夢どころではないはずですし。

それより、夢というのは自分で理解できるようになるものなのです。一番の近道は夢日記をつけること。そこから始めてみましょう。自分の心と向き合う為には、とてもよい方法です。ただ飽きっぽい人にはむかないかもしれません。なにごとも地道に取り組むことが大切です。

14回目の秋

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先月は、神様に呼ばれてあちらこちらの山や森へでかけていました。たくさんのメッセージとエネルギーを頂いてきました。まだまだ消化しきれていないのですが、これからの糧をしっかり受け取りました。ちょっと大変な役目だけれど、気負わずに淡々とやっていきましょうか。

わたしの魂は、元来がメッセンジャーでもあるけれど、シャーマンでもあるのですが、もうあまり言葉で難しい説明をするのは無理があるなぁと感じています。ブログやメルマガで、なにかすごい情報を期待している方には申し訳ないんですが、もうあまり書いたり、話したりはしないようにしようと思います。長年、この仕事をしてきましたが、神様が考えていることを説明すればするほど、宗教っぽくなってしまいます。それはまったく望んでいないことなので。

誰の人生でも等しく私たちには気づきを受け取れるチャンスで満たされています。そのことだけわかっていれば、魂を磨くことは、どこでなにをしていても可能なんです。

それぞれのあり方をただ掘り下げていけばいいのだと思います。その為のほんの小さなおせっかいを、わたしはここでこれからも続けていこうかなと思っているだけなんです。

光のサロンがここに根ざしたのは13年前の秋でした。いよいよ14年目にはいります。わたしの人生の旅はまだまだおわらない・・・。

それぞれの学び

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よく敷居が高くて、といったような事をおっしゃる方がいます。
そんなことはありません。でも、そう感じてしまうのでしょう。

敷居なんてものは、本当はどこにもありません。
あると思うから、ある。
でも、実際にはないのです。ですから、そんなものはないと思って気軽に学びにきてください。

それぞれの学びがここにあります。
考えても、足踏みしても、タイミングをはかることも学びにはならないでしょう。

ものごとにはタイミングというものがあり…と、実感されている方、そう意識している方、そうなんじゃないかと漠然と思っている方、さまざまな解釈があるかと思います。たしかに、きっかけ、機会、流れ、いろいろな言い方で私たちは「ご縁」というものを理解しようとします。でも、それすらも「敷居の高さ」と同じで、自我がかってに想像してつくりだしたものといっていいでしょう。

神の意思は、すべてのタイミングに等しく存在します。あなたがその気になってもなれなくても、学ぼうとする意欲があってもなくても、あなたはすでに受け入れられています。

神の前では、皆ひとしく、人生という学びのレッスンを受けさせてもらえています。

あなたの周りには障壁がたくさんあるのかもしれませんが…

でも、あなたと神様の間には、壁なんてひとつもないのです。最初からなかったのですし、これからもずっとそんなものはないのです。
ただ、あなたの学びの良い機会のみが、日々常に連続して存在し続けているだけです。
あなたができると思うだけで、あなたは学べます。変化できます。いつでも。何度でも。日々、無限といっていいほどの機会にわたしたちは満たされているようですよ。是非、試してみてください。

なぜ苦しみはなくならないのか

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なぜ、日々苦しいのだろうか。
なぜ、何度も苦難が繰り返しやってくるのだろうか。
いつになったら楽になれるのだろうか。
いっそのこと・・・

といったように、わたし達は、いつも苦しいということに、正面から対峙してしまう。
そして、とらわれ、もがき続けるものです。

でも、わたし達の魂は自分の人生に対して「なぜ苦しいのか」という問いかけをしないんです。
逆に、魂は「いかに生きるか」しか考えていないのです。

誰しも、苦しむ為に生まれてくるのではない。
生きる為に生まれてくるのです。

だから、生きていることは、有り難い、かけがえのないチャンスなのだ、ということを是非意識してほしいと思います。

誰からも愛される生き方

自分は愛されるに値する存在なのかな?とすぐに考えてしまうあなたは、
きっと、愛される為の努力が必要だと思っているでしょう。
皆に迷惑をかけないように、自立した存在でいなければいけないとも思っていることでしょう。
自分にたくさんの条件を課して、疲れてしまっているのではありませんか?

あなたが誰からも愛されるには、なんの努力もいりません。
いますぐ「愛される為の努力」をやめましょう。

あなたに一番、必要なのは「愛されようとして、力んだり、がんばったりしない」生き方を選ぶことです。

それからもうひとつ大切なことは…
人の思いやりや、親切にふれた時に、「受け取れないこと」をけして申し訳なく思わないことです。
もしも「ありがとう」と思えなければ、それはそれで構いません。
誰かが親切にしてくれた時、自然に「うれしく、ありがたく思えた時にだけ」素直にありがとう、と思えればそれでよいのです。

愛される為の努力をやめましょう。
人の優しさに「応えよう」という気づかいもやめましょう。

あなたに必要なのは、無条件で愛され、心から素直にありがとうと思える体験だけなのです。

あなただけの愛し方

あなたには、あなただけの愛し方があります。

愛する努力をやめましょう。
なにも気負うことなく、心はりつめることなく、あなたの優しさはきっと届きます。
常に愛そうとすることをやめましょう。
あなたの心がおだやかに、自然に、思いを伝えたいときだけ、手をさしのべればいいのです。

誰もあなたの愛が小さいなどとジャッジしません。

あなたが元気がなくとも、誰も遠ざけたりしません。

あなたはあなたのままでいい。あなたらしい人の愛し方をみつけてください。

日本人でプライドを保って生きることの難しさ

プライド(誇り)を保てないのならばハラを切ったのが日本の武士道だったようです。
魂はプライドを磨く為に存在しているともいえます。

人生はプライドを感じながら更に高めていくもの。ただ、その高め方がこれまた千差万別。ご飯をつくってあげたり、なにかを指導したり、祈ったり、瞑想したり、ありとあらゆるプライドの磨き方があるものです。皆、一様でなくそれぞれのスタイルをもっていますが、向かうところはひとつ。自分を磨く、ということに尽きるようです。

プライドは磨きがかかればかかるほど、これまた傷つきやすくなります。だんだん生きることが難しくなるのです。他人にプライドを折られることに耐えられないこともあります。その時、魂は撤退を余儀なくされるのです。撤退といっても実際の手段もこれまた千差万別です。関係性を遠ざける程度なら軽いほうで、精神的に閉じこもってしまったり、肉体的に存在を消そうとすることもあります。

時代が時代ならもうこれ以上いかようにもプライドを保ちようがない場合に、そこで人生を閉じる。そういう選択を昔の日本人は実際に行っていたのです。ただそれは一部の階級の人に限られたことで、一般庶民にはそれも容易ではなかった。

日本という国で過去をいきた魂の多くは、けして上位の階級ではなかったのでプライドを保つことは難しかったことでしょう。それを保つ為の選択がある、という考え方を持つこともなかったでしょう。

なんにせよ、私たちがこの地上で前進し続ける為のエンジンは、プライドを磨き続けられるという希望なのです。それが断たれた時に、私たちは前進できなくなってしまいます。その時になにを選択するのか、これはとても難しいことです。この時代、私たちはかなり混沌とした社会性のなかで生かされていて、望まないとしても一人ではないのですから。プライドの高い魂は自分の選択に他人を巻き込むことをよしとしない傾向が強いですから。希望を絶たれるとどうしようもなくなる場合が多いと思います。こういう煮詰まり方をするのは日本人の特性で、他の国家、民族にはあまりみられない傾向です。

人生は日々ま〜るくなる為の修行なのか

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人生という修行のスタイルは、個々の魂においてかなり違います。
多くの人が「人間関係」のなかでもまれ、そして磨かれていきます。

でも、ある人達は人間関係のなかで葛藤したり、苦しんだりということを通して学ぶ方向性を持たずに生まれてきています。こういうタイプの魂は、人と接することでけして悩んだりしないのですね。悩むことはあっても深くひきずることはない。そうはいっても現実にはいろいろな問題が日々浮上するわけですけれども、そこにとらわれていると、ただひたすら虚しくなる…。自分はなにをやっているのだろう、と感じる傾向が強いのです。

一方で、大多数の人は、人間関係のなかでおおいにもまれ、翻弄されながら、カドがとれていくものです。魂はカドがとれていくほど丸みをおびて、しだいに美しく輝きを放つようになります。カドがあってギラギラしているのはまだまだなのかもしれません。

崩壊する縦の関係と、再生する横の関係。

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権威の失墜により、縦社会は崩壊していく一方です。個人の関係性においても、組織の中においても、縦の関係性は根幹から揺さぶられています。容易に変わらない組織もたくさんあるので、揺さぶられながらもやむを得ず体裁を保ちつづけていくよりない、そういう世界では引き続き表面上の権威も保たれていくでしょう。しかし、それははりぼてにしか過ぎず、実のところは抜け殻になっていくことでしょう。

一方で、横の関係は新たな再構築がはじまり、どんどん密になっていき、年月とともに堅固さを増していきます。いかなる権力もそれを無視することはできなくなり、実質的に権力そのものが分散化し、小さな集団でもそれなりの権限をもって機能できるようになっていきます。もっとも責任も同時に発生します。それはプラスに作用し、自浄効果になりますので、組織が腐敗する可能性はとても小さくなります。
新しい時代の横の関係においては、立場、役目、年代、性別の障壁はありません。個々が自発的に自分に最適の役割を担うようになります。誰も支配しませんし、管理しません。それでも全体が有機的に機能できます。それぞれは単細胞生物のように、実にシンプルに行動するだけなのですが、不思議と全体が調和してひとつの生命体であるかのように機能します。魂というのはもとより調和した世界に存在しているので、そういうことは原初から可能なのですが、人類がつくりあげた歪んだ文明と低い精神性が、私達の本来の可能性を歪め、封印してしまっていたのですね。その封印が解かれ、本来人間が持っている、あるがままですべて調和していく能力を発揮できる時代になったのです。

その為には、ひとりひとりが自然体であるがままの自分らしい生き方を一日も早く、実現することが大切です。自分が変われば未来が変わる、ということです。誰かが変えてくれるのを待っていたり、誰かが始めたら自分もはじめようではだめで、自分らしい生き方を見つけ今すぐに始めることが大切です。皆それぞれ持ってうまれた資質も、魂が望む方向性も違うのですから、最初は皆がてんでばらばらになり、右往左往することでしょう。混乱でというより混沌がすべてをうめつくします。しかし、混沌は本来は完璧な秩序でもあります。すべては元々法則性があり、大いなる摂理のもとに動かされているので、私達それぞれが自我を超越し、真理と一体になる真我の境地に至れば自ずとすべて調和していくでしょう。

あまり理屈っぽいことばかり書いていると、頭でっかちになってしまいそうでいけませんね。自分はどうすればいいのだろう、と考えてはいけません(笑)。

あるがまま、自然体の自分で生きる、というのは考えることではなく(少しは考えたほうがいいですが、なにごとも過ぎるのはよくありませんから)、そのまま「生きること」です。生きる、というのは食べることであり、寝ることであり、作ることであり、保つことであり、壊すことであり、楽しむことであり、悲しむことであり、失うことであり、得ることであります。失望することでもあり、希望を得ることでもあります。未来を見失うことでもあり、光を見つけることでもあります。そして、これらは一人ではむずかしいことばかりです。これからの時代は一人でいることが一番、不調和になるかもしれません。

一人でいる時間が長すぎる方は、一日もはやく助けをもとめましょう。また、もしもあなたの周囲に孤立している人がいれば、声をかけてあげてください。そうやって少しずつ、つながりましょう。つながってさえいればいいのです。整然と倫理的につながろうとする必要はありません。私達は元来、誰とでも手をつなぐことができます。つながり続けることが大切なんです。あきらめず、ねばりづよく、です。そうすれば、自然に秩序が生まれます。混沌はやがて美しいハーモニーとなり、すばらしい交響楽が地球から宇宙全体に発信されるようになるでしょう。地球が宇宙の中心になれるかもしれません。