就職活動

就職活動中の学生さんからの相談をお受けすることもあります。積み重ねてきた学業との兼ね合いもふくめて、これからの展望がどう開けるのかいろいろなことが気にかかる時期です。北海道は今、経済的にはとても厳しく学生さんにとっても思うように内定がもらえず苦労している方も多いようです。がんばってほしいところです。もし道内にこだわらないのであれば、一度道外に出てみることも強くおすすめします。

自分の場合は社会に出てから在籍したのは一社だけ(そこに18年居続けました)。丁度バブルをはさんでその前後、一番波の高低差があるダイナミックな時期を思い切り味わいました。上向いていくにせよ、低迷するにせよ、かなり大きな動きでしたのでそれはそれで思う存分やり尽くしたという感があり悔いは残っていません。自分の仕事に関していえば大ヒット作も作ったけれど、大赤字も出しました。両方あってご破算で終えたというところでしょうか。会社には大きな恩もありましたがその分、本当に必死で働いたので貸しも作ったと感じていました。でも最後に赤字をだして丁度相殺されて貸し借りゼロになった気がします。全国に支社もあったので東京にもしばらく在籍しました。札幌に戻ってからも業務上の打ち合わせ(自分の場合は音楽ディレクターだったので作曲家や制作プロダクションとのミーティングがほとんどでした)も多く、パニック障害をもっていたので乗り物は本当に辛かったのに月2〜3回東京に出張が続く時期もありました。調子は悪かったとはいえ、若さ故でしょう、体力だけはあったのかもしれません。年に1〜2度激しい腰痛になったり風邪をひくことも多々。お腹もよくこわしたし今からおもえば実に不健康でした。30代後半はスポーツを心がけていたのに…それでも心身のバランスはすごく悪かったんです。基本的にすごく無理をして暮らしていたのだと思います(翌朝通常出勤なのに午前4時に帰宅、なんて日々が続いた事も…)。それだけ取り組みがいのあるいつも緊張感がただよう職場だったので、忙しくても辛くても大変でも、それに見合う達成感は得られていました。いい仲間にも恵まれて幸せでした。海外でのレコーディングも実現できたし、本当に悔いの残らない走り抜けた20〜30代でした。

東京で人に会うとよく自分が勤めている会社について、北海道についての評判をきかされたものです。一言でいえば、とても羨ましがられたんです。北海道来たことのない人は是非行きたいといいました。来たことのある人は北海道に住めてこうして東京に不便なく出向いてこれる仕事ができるなんて素晴らしいと称賛されました。札幌から東京に出向く時は自宅から空港まで車で行きます(高速だと1時間ほど)。午前の便に乗れば午後いちの打ち合わせには間に合います。午後からミーティングをこなして、たいていは目黒に泊まって(そこでよく友人と落ち合って飲んだものです)翌日も仕事をこなして羽田から夕方の便に乗ると2時間半後には自宅です。PDの症状は離陸時に出やすかったので、そこさえ乗り切ればなんとかなったんです。そんな東京までの通勤事情も嫉妬の対象になっていたようです。東京の通勤ラッシュや住宅事情(マンション事情)からすれば、北海道のそれは天地ほどの差があります。どちらがいいということではないにせよ、羨ましいなぁと口をつく要素はたしかに多いでしょう。

東京では北海道では出会えない業界の人達や、さまざまな場所に出向くことができました。プレステの仕事もあったのでソニーにも行きました。オフィスも働いている人もかっこよくて、憧れましたね(笑)。でも札幌に帰ってくると、やっぱりここがいいな、と毎回必ず思いました。東京には魅力がいっぱいあるし、素敵な人達も、憧れる企業も無数にある。でもやっぱりそこに居続けたいとは思わない。千歳空港について飛行機からでた時のひんやりとしてさわかやな空気を吸うたびに帰ってこれてよかったと思うんです。なにがあってもこの土地でがんばっていこう。何年も繰り返してもその気持ちは変わらなかったし、その意識が今ではすっかり定着してしまいました。この土地から出なくても暮らしていけるんならそれでも十分。実家は函館の津軽海峡を見渡せる高台にあります。最近は見通しが悪くなりましたが自分が住んでいたころは、窓から海峡に浮ぶいさり火が見えました。手前側の灯のずっと向こうにも白い光が点々とみえる。遠いほうは青森のいか釣り船の灯なんです。いつも海をへだてて本州の灯を見つめていたので「内地(北海道用語で本州)」に対する漠然とした憧れを持って育ったのかもしれません。

東京支社に在籍していた頃は体調はおもわしくなかったし、友達もお金もなかったので(楽器のローンがわんさか残っていて…)、なにもすることもなく、ただ生きていくだけで精一杯でぎりぎりで暮らしていました。でも、少しずつ人の輪ができていって、休みの日に遊びに連れていってもらえることもありました。でもほとんどは寝て過ごしたり、吉祥寺までぶらっと歩いていって井の頭公園を一周して駅前で思い切ってトンカツを食べたら最高の贅沢な休日でしたっけ。それでも、北海道にはない空気や人や食べ物や土地や風景に触れて自分の感性はすごく磨かれたと思います。そしてますます北海道が好きになっていったんです。

外にでて見えるものもたくさんあるし、やっぱり経済の中心は東京だったり関西だったり内地のそこかしこにあります。北海道は経済のバイブレーションでいえばいまだ国に庇護されなければ自立できない地方でしかない。国に借りがあるということは日本中の人に借りがあるようなもの。これからはお返しをしていくような気持ちをもってこの土地を盛り上げ、独立国家をつくりあげるぐらいの勢いが必要。それだけの意気込みをもっている若者だったらこの土地の神様も強く応援してくださると思うのです。

よく学生さんには大志を抱け、とげきをとばします。大志とは、この土地を愛し、人を愛し、そして自分を磨き、土地の人達とともに自立して大きくなれ、という意味での大志です。稼ぐ為には人間の器をできるだけ大きく磨き上げる必要があります。学業も大事ですが、若いうちに外にでて一番レベルの高い土地でテンションの高い人達にもまれる体験も不可欠ではないでしょうか。もしそんな機会が得られるなら強く求めてつかみとって欲しいんです。目先の安定や保証など求めないでほしい。よもや定年まで居られたら、などと夢の無い気持ちで企業面接に出向いて欲しくないんです。希望の種は自分でまいて育てましょう。私たちの先人の苦労を思いだし、フロンティア精神を復活させ、勇気をふりしぼって新しい未来へつきすすんで欲しいんです。

人のふり見て我がふり直せ

人のふり見て我がふり直せ、とことわざにあります。
当人の問題でないことでも、ご夫婦、親子、恋人、仕事といったご自身に直接利害関係がある場合は間接的なご相談でもお受けしています。周囲の人間関係とどう向き合えばよいのか、というご依頼はかなりの数にのぼります。身内の問題については、ほとんどが本人が気づきをうながされているのです。親子の問題にせよ、夫婦の問題にせよ、相手の悪いところを取り上げてどうしたら直せるのか、という問いかけの場合、ご本人が向き合うべき自分の問題から目をそむけている場合がほとんどです。
あなたが誰かのふるまいをみて「この人はどうしてこうなんだろう、どうしたらよくなるんだろう」と考えるとき、神様もあなたを同じ気持ちでみているのかもしれませんよ。

自分の親の事であれば、一線をひいて考えることはさほど難しくないかもしれない。自分の妻や夫のことであれば、お互い様なのだからやはり自分にも改善すべき点があるかもしれないと考えることは簡単ではなくてもできるかもしれない。もし、自分の子供に対する気持ちであれば、親としてかばったり守ろうとするのは当然なので自分が変わるべきだとはなかなか考えにくいかもしれません。でも、子供は自分の鏡でもあるのです。子育てを通じて親もまた成長していかなければなりません。親として世間人並みなことをしていればそれでよい、というわけでもないのです。人それぞれ到達すべき人生の目標地点は違うのですから。

時代の変わり目

ランディさんが今日のブログで、最近の若者の「先を読む癖」について書いていた。実はずっと感じていたことだったので、なるほどと思った。

昔の人は「腹のさぐりあい」という言葉があるように、腹でものを考え、コミニュケーションをしていた。「腹がすわる」とか「肝いり」という言葉もある。どちらも身体の部位でいえば、みぞおちのあたりだろう。自分の世代や少し上の世代の人は平均すると「腹」とか「肝」のあたりでものを考えながら人と関わり合っている。ところが最近の若い人は特に、そして小学生でもそうなのだが、考える部位が「腹」ではなく「胸から上」なのである。

これは人のオーラをみていると人間関係のストレスが身体のある部位に集中して現れるのでそれを見ていて気づいたことなのだ。この傾向はこれからますます顕著になっていくここと思う。胸から上でものを考えると、これから起きるかもしれないことをすごく長い目で受け止めてしまう。つまり目の前にあることよりも、遠い将来に起きるであろう「不調和」をすごく怖れるようになる。なぜこうなるかというと、因果応報の法則にすごく敏感になってきていることがひとつの理由になっている。

因果応報の法則というのは、人を傷つければそれが巡り巡って自分に災いとなってかえってくる、というものだ。腹でものを考え、人と関わると「腹のあたりで共鳴する波長で因果応報の法則が作用する」のである。それに慣れれば、それに打たれ強くなる。だが、腹のあたりの波長というのは、その場限りのもので、長く継続的な波長ではない。昨日は昨日、今日は今日なのである。明日は明日の風がふく、という気ままな暮らしが成り立つ時代ならばそれでもよいが、現代はそれでは明日がないと感じる人が増えてきた。今日の平安よりも、できれば明日も明後日も穏やかでいられるほうを選ぶ。時代が変わってきたということもあるし、遠い未来になかなか希望がもてない空気もあるだろう。長中期的な視野で「おだやかに」人と関わっていたいと考える。そうすると、「胸」のあたり、あるいは「喉」や「頭」の周辺でものを考えて人と関わるようになる。身体の上のほうで考える波長というのは、つきつめれば自分の人生全体を意識するようになるし、もっといえば自分の孫子の世代のことまで考える波長である。だから、自分自身のことだけでなく、自分の家族や遠い未来の子孫のことまでなんとなく視野にいれたうえで、常にものを考え、人と関わろうとする。そうすると「なにごとにおいてもことなかれ主義」になる傾向にはなるだろう。今日、明日の刹那的なことはひとまずこらえる。それよりも、もっと遠い未来に「利得」が得られるような方向でものごとをとらえ、判断し、人との関わり方を考え、定めていこうとするようになる。

ただ、こういった感覚を磨いて現実生活が充実するように適応させていくことは簡単ではないだろう。なぜなら、今の子供達には手本になるような大人が多くはないのだから。

昨年からの流れ

昨年ぐらいから、ご相談のテーマに転職、開業が増えてきました。これまでも転職に関する相談はありましたが、ご依頼いただく方の年代が上がってきたということ、それから自営業、役員の方からのご相談をいただくようになりました。幹部候補で抜擢されるような方からのご依頼はその方が担うであろう生活や仕事の波及効果を考えると、大変な決断です。それをお任せいただけることは、とても嬉しい反面、心がすくむような緊張をおぼえます。私は学歴に関しても自分という人間に関しても根本的なところで大きなコンプレックスがありました。今でもすっかり消えてなくなったわけではないのです。でも、自分のもてる力が誰かのお役にたてるなら、怖れたりひるんだりしている場合ではない、とも考えるようになりました。答えがあまりにもはっきり見えてしまう時は、迷いも恐れも、どこか遠くへいってしまいます。常にではないにせよ、未来がありありと見える時もあるので…。予知や霊視を非現実ととらえて、あざ笑ったり、拒絶することはどんな時代にもありました。でも私は結果がでればそれでいいじゃないか、と割り切っています。本当は科学的に実証したい。自分だけのひとりよがりではなく、ある程度の能力を備えた人であれば同じ予知や霊視ができるはず。そう信じて、可能性のある人には技術指導もしています。霊感を科学的に証明できる時代はいつかくると信じたいし、そのために今はまず信仰やトリックを完全に払拭して、ガラス張りのカウンセリングを続けていきたいと思うのです。

コンプレックス

私は私なりに、つよいコンプレックスをもっていて、それが邪魔をして心のバランスを失うことも多いです。ひとさまの人生のさまざまな葛藤と向き合わせていただく、ということは私自身の内面の至らなさ、弱さ、未熟さを見せつけられることでもあり、とても苦しい。でも自分も苦しいけれど、もっと苦しい人が目の前にいる時にどうにかがんばれる。自分が弱音をはかずにいられる。神様が力を貸してくださるのでなければとても人のお役になんか立てないような気がします。なんて未熟なんだろう、なんて力がないんだろうという気持ちをどうにかこうにか抑えて、自分を否定ばかりせずに生き長らえてこれたのは、こんな私でも必要としてくださる方がいて、その人達からありがとうという感謝の言葉を返していただけたからなんです。ありがとう、という言葉には本当に不思議な力がやどっているのだなぁと思います。相手に感謝をすることによって、その人のどんなにネガティブな感情であっても解放してしまう。ありがとう、という言葉のなかには神様の愛が宿っているのではないでしょうか。

今日はサロンでわりとゆっくりブレスレットを作ったり、メールの返事を書いたり、いろいろと仕事をこなしています。あいにくと天気も崩れてきて風も冷たくなってきました。暖房をつけている方もいるかもしれません。そんな肌寒い日ですが、この仕事をさせてもらえて自分はほんとうに幸せものだな、と思います。これからも一生懸命みなさんの人生の歩みを応援させていただきたいと願っています。あるがまま、自然体でいこう。怖れず、騒がず、自分のペースでしっかりと歩みつづけていければ本望、と改めて思いました。

未来のために

どうか日々を大切にしてほしい。

こういうことを最近、つくづく感じています。小さいことでも日々積み重ねていくことで、どんなにおおきな城壁にもまさる堅固な現実を生み出す力になりますから…。恋愛でも、仕事でも、同じです。思いやりを尽くすこと。いつも最善の自分でいられるようにすること。無理せず、疲れたら休み、眠りたい時は眠る。そして明るい日は元気よく外へ飛び出してがんばって汗をながす。あたりまえのことを自然体であるがままに続けていけばそれでいい。でも、志をもてなければ思いは伝わりにくいことがあります。これからの1〜2年の流れを大切にすることで未来が大きくかわっていく人が多いと感じます。ひとりひとりの時間をどうか大切にしてほしいと、切にねがっています。みんなのために。この地球(ほし)の未来(あす)のために。