今日の徒然:風のない日(4)

やっと気温も落ち着き、秋の入り口の気配がなんとか間に合ったというところだろうか。森の獣たちも、海を回遊している魚たちも、そして環境の変化にもっとも疎い私たち人間にとっても、自然のリズムの変調にはかなり振り回されているようだ。気持ちも定まらず、足元もおぼつかず、自然の表情もすごく不安定だ。だがこれが現実なのだ。皆が同じ状況におかれている。避けられる人はない。

もしも自分の身を守ることすらできないほどの危機がやってきたらいったい自分はどうするだろうか、と思う。きっと自分のことしか考えられないだろう。それが本当の自分の姿だ。結局、究極の危機的な状況になれば自分のことで精一杯なのだ。それがあるがままの己の姿なのであれば、それでよしとしよう。そうして、自分の原点を見つめておかなければ、いざというときに戸惑い、そして迷い、結果、立ち止まってしまうだろうから。
(03.)

今日の徒然:風のない日(3)

風が止まっている気配に、じっと意識をこらしていたら、こんなことを感じました。

気持ちのよりどころがなくて、どうしようもない感情をもてあましている人が増えているようです。いたるところに…。その人達は、とても若くて、身体も心もまだ大人になりきっていない。世代のギャップが大きくて、大人たちに気持ちを打ち明けられない。もし、家庭のなかに居場所がなくなると、ほんとうに行き詰ってしまう。そんな若者達がたくさんいるように思います。満月をむかえて、心のなかのもやもやが溢れそうになっている人が多いかもしれません。この週末、ゆっくり休めればいいけれど。もしそうでないなら、来週はいろいろなことが形になっていくかもしれません。お一人お一人が、ただ自分らしく進まれますように。ただ祈るばかりです。

皆さんの未来は明るく希望に満ちたものでありますようにと。私はなにがあろうとも、祈り、信じ続けていきます。

(04.)

今日の徒然:風のない日(2)

今日も風のない日だった。

風を感じる、ってどういうことなのだろうか?とふと考えてみた。風が動く、って。いったいなにを感じているのだろうか。世の中を感じるということだ。私達は自然の一部かもしれないが、もはや世俗にひたりすぎていて、自然の一部といいながらその感覚をほとんど失っている。だから、先住民族の感性とは違う。今、私達の感性は人民の集合意識そのものかもしれない。風が止まるとは、どういうことなのか。感じられない、ということではないか。飽和してしまったのかもしれない。なにかがいっぱいになりすぎて、もう溢れてしまったのかもしれない。月の暦とも関係があるだろう。

私達には、今、休息が必要なのではないか。ふたたび風を感じられるだけの心の余白を、多くの人が求めているのではないだろうか。

つらつらとそんなことを考えていた・・・風のない日に。

(05.)

今日の徒然:風のない日。

空気がおもく感じる時は、風がない時。

風がとまると、気持ちも停滞ぎみに。煮詰まってしまわないように、きれいな水をしっかり摂るようにしたいものです。

今日はそんなことしか思い浮かばない日。風のない日でした。

(06.)

今日の徒然:遠慮も犠牲も時代遅れ

他者に遠慮したりすること。自ら犠牲になること。これまで美徳とされてきたことが、もはや美徳でもなんでもなく、かえってわかりにくく、ややこしく、面倒くさいだけのものになりつつあります。はやめに、こういった自分を殺す生き方をやめないと、孤立していく場面が増えるかもしれません。遠慮がちな方に孤立注意報が全国に出ています。どうぞご注意ください。

(07。)

今日の徒然:非常識な愛の形

今、すべての人が気負いを手放し、プライドを捨てる時にきていると思う。そして、自分なりの愛の形を思い描き、それを形にすべく選択し、行動する時がきている。そして、それが許される時間が次第に残り少なくなってきているようにも感じます。

自分の愛を形にする。それは時に、非常識な選択となることもあります。大切な人を傷つけるかもしれません。それでも、選択し、行動せざるをえないほど、今すべての人にとって大切で大きな転換期が迫っています。

非常識な愛を形にするのは簡単なことではありません。大切なことは、自分が愛されている存在であること、すべて赦されている存在であることを理解し、受け入れることではないでしょうか。

(08.)

今日の徒然:2012年を振り返って

9月がもうおわりですね。今年もあと3ヶ月。まだ終わってないけれど、年末までは時間があってないようなものなので、ここで自分としては一年を振り返り、反省をしておこうと思っています。

日々、本当に世界の為に、日本の為に、これまで出会った皆さんの為に、祈らずにいられません。
どうか、それぞれの今日が、よきものでありますように。皆さん、ひとりひとりの頭上に正しき導きがありますように。すべてが癒され、調和に至りますように。

今日は空を見上げています。空の気持ちになっています。これから先、なにが起きても、ただ自分らしくあり続けようと思います。

北海道周辺の海水表面温度が上昇し続けています。魚の回遊ルートが変わってしまうことも懸念されますが。それよりも、なぜこんなに急に海水温が高くなるのでしょう。とても気になっています。

自分のなかでは明日から2013年にむけての準備開始の気持ちです。では。

今日の徒然:変化成長したい←→楽になりたい

変化成長したい、事態を脱却したい。人は常にそういう意識を本質的に持っています。

ただ、今の苦しみから逃れて楽になりたい、だから変化したい。こういう図式はあり得ないと思います。

魂の本質は、変化し、成長したがっています。しかし現実を生きている私達の身体と心は苦しみ、葛藤します。そのはざまで本質が目指している方向性を見失いがちなのが、人間である私達のやっかいなところ。これは誰しもが同じなのです。生きていて、すべてが楽だ、苦労も心配もない人などいない。皆、煩悩だらけの人生であることにおいて、不平等はありません。

生きるということは、つきつめれば個の問題。自分の内側の問題でしかありません。苦しい時こそ、学びのきっかけともいえます。

学びをしっかり糧にするには、十分な心の余白が必要です。少し、あるいはある程度、空っぽの容積を用意しておくことです。そうでなく、苦しくてめいっぱいになっていると、学びを受け取ることはかなわないでしょう。

辛くで誰かをすがることは避けられないかもしれない。でも、そんな時でも、なんとか少しふんばって、余白をつくる。そこに学びが宿り、成長する糧を受け取れます。なんでもかんでも人に頼ってしまっては、やはり成長はかなわないでしょう。自分でできる限りがんばってみる。そして、もはやここまで、というところで、誰かを頼ってみる。

しかし、がんばり過ぎて、身体をこわしたり、心のバランスを失って自分を見失ってもいけません。そうなる前に第三者にみてもらうことも大事です。身体のこと、心のこと、内面のこと、魂のこと、それぞれのエキスパートで信頼できる人を見つけておきましょう。

(09。)

今日の徒然:力みを抜くということ

レイキを受講すると、多くの人にとって一番初めの受講日を境にして大きな変化がおきるようです。自分の経験を振り返ってもそうでした。またこれまで多くの人に伝授・指導をしてきましたが、その後の皆さんの人生を俯瞰してみても、やはり「その日」の前と後では、大きく変貌を遂げている方が本当にたくさんいらっしゃいます。

なぜ、レイキはそこまで人を変えるのだろうか。人生の方向性を根幹から変化させていくのだろうか。

この点については、自分のなかには少し前に答えがみえてきていましたが、やはりいろいろな事情があって大きな声で言うことができません。誤解を与える怖れもあるし、なによりもレイキを教えている人達に迷惑がかかってもいけません。多くのレイキ教師を育成している自分の立場では、うかつに書けない、言えないこともたくさんあります。

人が成長するきっかけをつかむのは、やはりその人自身の意思によるものでなければなりません。他者がうかつに背中を押すと、お互いのデメリットになることもあります。レイキは単なる道具ではあっても、うまく活用すれば本当に人生を豊かに、そして自然体で生きることができるようになります。が、残念ながらその為にどのようにレイキを実践すればよいか、そのことを明確に説明できる人がいません。私にはそれができます。が、その答えを求める人にしか教えられないのです。なぜなら、ふさわしくない場面では余計なことを言わないようにと、その方の魂のガイドさんから口止めされるからです。

私は単なるレイキ教師ではなく、皆さんの魂の指導者達からのメッセンジャーでもあるので、この二つの立場の間で悩みます。これは自分だけの悩みです。でも、誤った選択はしませんし、できないのです。ですから、言えないものは言えません。厳しいですが、ルールはルールなのです。

レイキは本当に素晴らしい技法です。上手に活用するには、余計な力を抜くことです。力みが抜けるにつれ、実によく効くようになります。そして、効いていることをはっきり感じられるようになります。いったい、この作用はどこからくるのだろうか、と思うほど、未知の作用に不思議な思いをいまだに消せません。もう本当に長い年月、使い続けていますがいまだに日々、新鮮な驚きを与えられています。いったいレイキはどこまで私達の感性を変化、成長させてくれるのだろうか。どこまでも無限の螺旋の上昇のサイクルがこの先も続くのかもしれません。

私の手の熱さは、日々、なんともいえない強さを増していくようです。自分の身体になにか起きているのでしょうか…。だれか上手に説明してくれませんか。

でも先頭を走る自分には、先生は居ないので一人で研鑽を深めていくよりないでしょうね。がんばります。

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今日の徒然:生きる力、糧になるもの。

私達は、愛によって生かされ、愛を糧にして成長します。

また一方で、身体の糧となる食べ物によって生かされ、生活基盤があってこそ、人生を体験できます。一生という有限の時間を通して魂は成長するチャンスをつかみとります。

生活をするには、現代では社会的な地位と保証が必要です。国民としての権利も必要です。そして経済活用を行う為にお金が必要です。

スピリチュアルな気づき、学びばかり追いかけていると現実の生活に必要な社会活動、お金という大切なものをおろそかにしがちです。

すべてこの世にあるものは、エネルギーであると考えれば、それを上手にいかせば魂を発展向上させる有意義なパワーの源として有効活用できます。お金もひとつのエネルギーです。

お金と向き合う人が苦手な人はたくさんいます。本当に上手な人なそんなに多くないかもしれません。自然と向き合うことが上手な人があまりいないのも同様です。魂の世界のことと向き合うのも不得手な人は多いかもしれません。

人間は皆、足りないものだらけです。でも、だから学びがあるのだから。不完全であるほうが自然なのかもしれません。自分に苦手なものがあることを自覚できることは、幸いなのではないでしょうか。

(11.)