一年のはじまり、です。実際のところは旧暦師走の十七日、満月を過ぎたばかりなのでまだまだ区切りとはいえないタイミングです。あと十日もすれば新月になるので、何となく節目を感じられると思います。
それぞれのペースで、やりたいことをやる、やりたくないことには頓着しない、そんな過ごし方を心掛けられた方がいいでしょうね。気負う、頑張る要素を一つでも減らすことがこれからの時流に乗っていく大切なコツだと思います。
一年のはじまり、です。実際のところは旧暦師走の十七日、満月を過ぎたばかりなのでまだまだ区切りとはいえないタイミングです。あと十日もすれば新月になるので、何となく節目を感じられると思います。
それぞれのペースで、やりたいことをやる、やりたくないことには頓着しない、そんな過ごし方を心掛けられた方がいいでしょうね。気負う、頑張る要素を一つでも減らすことがこれからの時流に乗っていく大切なコツだと思います。
今日私があるのは、昨日のあなたのおかげです。
今日私があるのは、あの日のあなたのおかげです。
今日私がこうしていられるのは、かつてのあなたのおかげです。
みんな、みんな、あなたのおかげです。
あなたにありがとう。
たくさんのありがとう。
解毒はやったほうがいいです。健康な方でも、やってみるとそれなりの解毒が起きます。まして、なんらかの症状を持っていて気になっている方は実践されると、そこを起点に年々、改善の傾向が見られるようになります。
体は一年というサイクルで循環し、調整を行なっています。そのリズムを考えると年間を通して解毒に取り組むスケジュールを組むのが良いと思います。真冬が最適とも言えないかもしれませんが、春先に解毒力が上がるのは経験的にわかっているので、今のうちに基礎となる肝臓を刺激しておくのも良いことだと思います。
私も若い頃、何度か取り組んで効果を感じています。持病がある方は、すぐに完治するという考え方ではなく、長く取り組んで少しずつ自然の治癒力で治していく取り組みとして、検討してみてはいかがでしょうか。
以下のリンクは、よろず内科クリニックさんの記事です。
http://yorozu-cl.com/Edgar-Cayce-therapy.html
映画「リーディング」が公開されてから、少しずつケイシー療法が認知されているようで、よかったなあと思っています。
リーディングがどうしてこの世に存在するのか、を考えるとまだまだ神秘でしかありませんが、ケイシーのリーディングによってもたらされた叡智の恩恵に預かっている人がたくさんいるのは事実だし、こうやってエビデンスが重なっていくことで、真理に基づいた情報だということが認知されていくでしょう。問題は「じゃあ、一体全体、誰がそうやってその情報を私たちにもたらしたのか」とか、「更に情報を受け取る術はないのか」というところにあるでしょうか。
更に受け取ることは難しいでしょうから、人類の科学的な探究、検証のテーマとして取り上げていくことになるでしょうね。
神秘な世界と、科学の発展が融合するその接点は何千年も先になることでしょう。私たちは「叡智」を持つ彼らのような存在に比べれば、まだまだ次元が低い位置にいるようです。
日々めまぐるしく色づきが加速する森の様子を見ていると、心がすごく揺さぶられているような気がします。
葉が色づいていく様子を視覚で見て、影響を受けているのもあるでしょうが、もっと自然の影響をダイレクトに受ける感受性が、私たちの体の中にあるような気がします。
それは、備えるとか、準備するとか、そういった本能のようなものではないかという気がします。
この秋はすごく栗が食べたくなり、日々なんらかの栗関連をいただいています。こんなこともなかった気がするのです。
それだけ体が備えようとしているのかもしれません。
それにしても、いったい何に、何のために、本能はざわめているのだろう。
しかし、その答えが分かった時には遅いということになってしまいます。何かできることは今のうちにやっておくべきなのでしょう。
早めの衣替え、断捨離、終活といったあたりでしょう。
私たちはどうやら物を所有し過ぎた気がします。
<お知らせ>
ピアノライブはまだ若干、空席がありますが準備の関係もありますので、間も無く受付終了となります。まだお申し込みでない方は早めにどうぞ。
創造性はとても素敵なものです。
自由に思うがままに、内なる精神性が指先を通して外に生まれてくる。生み出したものは、そのまま現実世界に波紋を広げていく。
ある人はそれを芸術というかもしれない。センスがいいとか、面白いなんてコメントがつくかもしれない。
けれど、生み出す者は「ただ生まれ出てくるもの」をあるがままに見つめているだけではないだろうか。
人から良く思われようとか、コンテストで入賞しようと計算するのは不自然な気がする。
あるがままの自然体で、それでいてなぜか内側から生まれてきてしまったものたち。
それらに自分が愛情を持てようと持てまいと、生まれてきたものは気配を放ちます。見た人、感じた人の心や精神に響いていきます。
結果はどうあれ、生み出したものは「一人あるき」させたほうがいいのではないだろうか。
自分も演奏家の端っこにぽつんと居る者として、自分の音楽を聴きたい人なんているのかな?こんな下手な演奏で満足する人なんているのかな?今でも、こんなふうに思うことがあるけれどキリがないので考えないことにしました。
何かを生み出してしまう人は必ず「傷」があると思うのです。痛みともいえるかもしれません。
心が感じてきた痛むもの、疼くものがたくさんあります。それらを味わうことは辛く苦しいものだった。今でも日々、痛みを覚えます。それらが糧になってエネルギーとして生まれ出ようとしているのだな、と思います。
痛みをそのまま表すのではなく、光に還す、希望という別なエッセンスをまとった波動に変換することができれば本望。
多分、それもまた私のミッションなのではないかと思うのです。
演奏は拙いんだけれど、魂が奏でるのでしょうね。ちなみに全て即興演奏です。音楽的には一切の準備がありません。譜面も書きませんし(そもそも楽譜を見ながらピアノを弾くほど器用ではないし)、リズムも調性も事前に決めたりしません。
今日はそれでも少し落ち着いた秋模様。観光客が少し戻ってきましたね。
しかしながら、心はどこか落ちつかない。理由もよくわからない。
そんな時流なんですね。
もう安らぐ、ということがすっかり難しくなってしまいました。けれど時は容赦なく過ぎていきます。日常を地に足つけて暮らしていかねばならない私たちにとって、心が穏やかでないものをどうにかする余裕が失われつつあるかもしれません。
現実は心がどうあるかで変化します。
ということは現実が荒れてしまったら、もう心が調和を失っているサインですし、もっといえば「少し以前からそうだった」ものが、少しずつ現実化しているともいえます。
一旦、不安定な流れが現実化してしまうと、そう簡単には元に戻りにくくなりますので、それでもなお心を穏やかに過ごそうとすると、本当に難しい。
なんという時代なんだろうと思います。
少しでも、わずかでも、皆さんの心が穏やかに過ごせるような支えになるのが私の使命なので、できるだけのことをするのみです。
どんなに厳しい状況でも、不安という濁流に流されないように、小さな杭を打つことはできます。打てる杭があれば。ほんの一時、安らぐこともできるかもしれません。風除けがあれば。
私が皆さんの杭になり、風除けになりましょう。
今月末、開催のピアノライブもひとつの小さな杭になります。まだお席がありますので必要な方にお渡しできると思います。
日毎に秋が深まっている時期なのですが、天候が不安定でなんとも落ち着かない日々です。知らず知らずのうちに疲れが蓄積して、うまくいくはずのことがうまくいかないことが増えます。
何事も思うようにならないのが人生ではありますが、全ての人類にこれまでの人生訓や経験則が当てはまらない未知の時代に突入しています。
どうか日々余裕を持って焦らずにお過ごしください、と言ってみたところで何の励ましにもならない状況です。
あまりにも不安だったり、こう着状態だったり、いろいろなことが多すぎる時代です。少しでもお力になれればと思い、このようなイベントを計画しました。
私の霊力を持ってしっかり皆さんをお守りさせていただきます。
今回のイベントには命をかけております。
ピアノライブの詳細はトップページからのリンクでご確認ください。
ピンとくるかとは思いますが、このイベントにはお祓い、厄払い、のような意味があります。ただ、相当なエネルギーの変化が起きることが多いので、念の為注意を書き添えてあります。繰り返しますが、どうか無理をして参加されることのないようにだけご留意ください。
定員までまだ余裕があります。
満月、良い月が見えましたね。
木星も見えていました。宇宙の神秘を感じさせられます。
木星は約12年で太陽を一周します。12年は人間の人生の一つの節目の年数になっているのは、おそらく木星の影響なのでしょうね。そんなことをつらつらと考えながら月を見てましたが、満月というのはあれこれと内面を揺さぶるものらしく、考え事が次々に浮かんできます。
暑さもやっと過ぎまして「〇〇の秋」というキャッチフレーズがあるように、自分の内面の問題にスポットを当ててみようかな、と思う方は少なくないのではと思います。
カウンセリングにいらっしゃる方にとって、最善のタイミングがあります。
しかしながら、今後は「自分にとっての時期」について考えない方がいいように思います。
なぜなら、私たちは煩悩まみれですし、月の満ち欠けの影響も受けます。自分を冷静に客観視して、今だ!とタイミングよく物事を行動に移すなんてまず無理は話です。
何事においても、とにかく自分のことがわからない、おぼつかない、だからこそ私たちのような役者がいるのです。
ところでスピリチュアルという冠を私は本当は使いたくないのですが、長年この肩書きで、このメニューで仕事をさせていただいている手前、あまり変えるのもどうかと。やむをえず使い続けているところです。
実際のところは「霊視鑑定」ですので、座ったらズバリと悩みについてのアドバイスをします。
ただし、ご本人のペースは最大限に尊重します。ズバリとはいえ、ゆっくりじっくり、そしてわかりやすくを開業以来ずっと心掛けています。
私、元々、小学生向けのゲームを作る仕事をしておりました。難しい仕組みを難しい言葉を全く使わずに、わかりやすく伝える工夫は元々、得意な方です。
スピリチュアルな用語は一切、使いません。一般的な人に馴染みのない霊的な世界のことも、あまり多くは話しません。
今、必要な、最小限の知恵をできるだけわかりやすくお伝えをしています。
なので時期は選ばず、思い立った時が最善のタイミングと思ってください。
やっと空いている日程も安定的に掲載できるようになってきましたので、まだまだ多くの方にご利用いただけるのではないかと思っています。
ではお会いできる日を楽しみにお待ちしております。
ピアノを弾く人って本番前は延々とピアノに向かってリハーサルをするのかもしれません。
私の場合は山を駆け回ります。体幹を鍛える、バランスを整える、五感を研ぎ澄ます、そのためには自然の中でできるだけ緊張状態を作ります。
山道は、気をつけないとケガをしますからね。そこを駆け回ってると、ものすごく集中せざるを得ない。その時間の中で野生的な感覚が蘇ってきて、霊力が増します。長年の修行から会得した感覚でしょうね。
なので、あまり楽器に向かうようなリハーサルはしませんし、音楽性を磨くような訓練は最小限しかやりません。
10月のピアノ公演の準備に入っています。
とはいっても、ウォーキング、ヨガが中心。
音楽を奏でるのは体。体という楽器を通して、現れてくるものが、たまたまピアノと共鳴するだけ。
ピアノは弾くものではなくて、ピアノが共鳴して手伝ってくれるだけのこと。演奏するのは自分の体です。
そこをしっかり整えておかないと、思ったような音楽を表すことができない。
音楽をやるのですが、今回は祓い清めを狙っています。
音楽会というのは名ばかり、実質的には加持祈祷でしょうね。
でも、ピアノを弾くのに真言密教を語るのもナンセンス。
音楽は音楽として成立していないとつまらないし、色気もない。
だから、あくまで体裁は音楽会。
それはさておき、今日はパソコンの断捨離。
8月も終わり。いよいよ9月に入りますね。
西暦はあまり気にしないことにしている、のではなく、とらわれたくないだけ。
でも今日(8月末)と明日(9月1日)で何かが変わります。
何か、としか言えませんが。
写真は15年も使っていたMac。ずっと前に現役引退させましたが、最後のお役目を果たすべく、少し前からデスク脇にセットアップ。当時の書類で、このMacでしか読み出せないものがたくさん残っていたのです。ハードディスクに埋もれていたデータを一旦この古いMacに転送。互換性の高いフォーマットに変換。そしてまた取り出す。この作業を延々と繰り返していました。
昨日ついに全ての変換が終わり、役目が終了したところで廃棄の手順へ。内蔵HDDの初期化です。ゼロデータの書き込みを3回繰り返します。その作業に入った途端、エラーが発生。カーネル(裏でこっそり動いている仕組み)が吐き出す見たことのないエラーメッセージ。これは致命的な故障が発生した症状です。初期化はあきらめて、中のHDDは蓋を開けて取り出して別途、消去して処分することにします。個人情報が残っているHDDなので、そのまま手放すわけにはいかないんですよね。
パソコンは精密機械だし、ミクロの世界で電子が高速で飛び交ってます。人間の神経系のような作りになっているので、私たちの精神状態と共鳴しやすいです。いわばパソコンの調子は、使う人の意識だったりストレス度合いで変わります。
このMac君、いや、Mac姫(女性形)、もう力尽きてもいいと悟ったのでしょう。(ちなみにモノには性別もあります。)
このことからふと思ったのです。
普通ならとっくに寿命を迎えていたはずのパソコンがなぜここまで延命できたのかといえば、自分の意識がどこかで「まだ最後の仕事を終えるまでいかないでくれ」と引き留めていたからに相違ありません。
所詮は機械、とはいえ人の想念と深く結びついているものなのでしょう。
人間同士の関係とあまり変わらないかもしれません。
このMacは、このあとはリサイクルにだしてSDGsに貢献させます。