2023-01-23:生きる、何があっても

生きるのがしんどい、先が見えない、がんばれない。

人生は辛いのが標準。楽、ということはあまりないもの。
それでも人生の全てをならしてみれば、それなりに上向く時期もあります。が、底にある時は上向くことがわからない。逆に上向いている時は下降することが思い浮かばない。これが人生の摂理であり不条理でもあるのでしょう。

それでも私たちは生きていく。何があっても生きていく。もうこれまで、と思っても、やはりお腹がすく、そして朝は来ます。地球は止まらないのです。

自分にもう余力が残っていない、もう限界、と思っていても、それでもなぜか頑張り抜いてしまえることがあります。そういうものです。おそらく私たちが思うよりもずっとずっと、人生の流れは堅固で強いのです。

私たちは「見えない何か」に背中を押されています。生まれたその日からずっと。だから押されていることに気づかないのです。何もしてない、何も頑張れていない、何も結果を出せていない、そう思っていても人生は実はそれなりに進んでいる。振り返ることができるなら、ずいぶん遥か遠くへ来てしまっているのです。

そして、最後のゴールへと向かってこれからも運ばれていくのです。

心が弱ってもなお、背中を押されて前進し続けている。それが人生というものらしい。

であれば、頑張れなくていい。自分を認められなくていい。そんな時はそれでいい。

それでも生きる。何があっても。

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2023-01-11:わたしは誰?

自分が誰なのか、わからない。そんな時は、こう思ってみるのもいいかもしれない。

あなたは、あなたに生きて欲しいと願う人たちの思いで生きている

つまりあなたは生かされているのであって、自力で生きているのではない

あなたの命は誰かが与えた命

あなたが生まれるため、生きるため、あきらめないため、成長するため

そのように生かされている

受け取った命を誤って使ってはならない

いただいた命は、きっとまた誰かに返さねばならない

それはこの星の上で生きている誰かの為にでいいから

命はめぐりめぐって、あなたのもとにやってきた

そしてまた誰かのもとに巡っていく

あなたの命は最初から与えられたギフトなのだから

あなたもまた誰かのためのギフトとなれるように生きなさい

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2023-01-08:気負わず頑張らない

一年のはじまり、です。実際のところは旧暦師走の十七日、満月を過ぎたばかりなのでまだまだ区切りとはいえないタイミングです。あと十日もすれば新月になるので、何となく節目を感じられると思います。

それぞれのペースで、やりたいことをやる、やりたくないことには頓着しない、そんな過ごし方を心掛けられた方がいいでしょうね。気負う、頑張る要素を一つでも減らすことがこれからの時流に乗っていく大切なコツだと思います。
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2022-12-25:あなたにありがとう

今日私があるのは、昨日のあなたのおかげです。

今日私があるのは、あの日のあなたのおかげです。

今日私がこうしていられるのは、かつてのあなたのおかげです。

みんな、みんな、あなたのおかげです。

あなたにありがとう。

たくさんのありがとう。
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2022-12-10:解毒について

解毒はやったほうがいいです。健康な方でも、やってみるとそれなりの解毒が起きます。まして、なんらかの症状を持っていて気になっている方は実践されると、そこを起点に年々、改善の傾向が見られるようになります。

体は一年というサイクルで循環し、調整を行なっています。そのリズムを考えると年間を通して解毒に取り組むスケジュールを組むのが良いと思います。真冬が最適とも言えないかもしれませんが、春先に解毒力が上がるのは経験的にわかっているので、今のうちに基礎となる肝臓を刺激しておくのも良いことだと思います。

私も若い頃、何度か取り組んで効果を感じています。持病がある方は、すぐに完治するという考え方ではなく、長く取り組んで少しずつ自然の治癒力で治していく取り組みとして、検討してみてはいかがでしょうか。

以下のリンクは、よろず内科クリニックさんの記事です。
http://yorozu-cl.com/Edgar-Cayce-therapy.html

映画「リーディング」が公開されてから、少しずつケイシー療法が認知されているようで、よかったなあと思っています。

リーディングがどうしてこの世に存在するのか、を考えるとまだまだ神秘でしかありませんが、ケイシーのリーディングによってもたらされた叡智の恩恵に預かっている人がたくさんいるのは事実だし、こうやってエビデンスが重なっていくことで、真理に基づいた情報だということが認知されていくでしょう。問題は「じゃあ、一体全体、誰がそうやってその情報を私たちにもたらしたのか」とか、「更に情報を受け取る術はないのか」というところにあるでしょうか。

更に受け取ることは難しいでしょうから、人類の科学的な探究、検証のテーマとして取り上げていくことになるでしょうね。

神秘な世界と、科学の発展が融合するその接点は何千年も先になることでしょう。私たちは「叡智」を持つ彼らのような存在に比べれば、まだまだ次元が低い位置にいるようです。

2022-10-19の雑記:深まる秋

日々めまぐるしく色づきが加速する森の様子を見ていると、心がすごく揺さぶられているような気がします。

葉が色づいていく様子を視覚で見て、影響を受けているのもあるでしょうが、もっと自然の影響をダイレクトに受ける感受性が、私たちの体の中にあるような気がします。

それは、備えるとか、準備するとか、そういった本能のようなものではないかという気がします。

この秋はすごく栗が食べたくなり、日々なんらかの栗関連をいただいています。こんなこともなかった気がするのです。

それだけ体が備えようとしているのかもしれません。

それにしても、いったい何に、何のために、本能はざわめているのだろう。

しかし、その答えが分かった時には遅いということになってしまいます。何かできることは今のうちにやっておくべきなのでしょう。

早めの衣替え、断捨離、終活といったあたりでしょう。

私たちはどうやら物を所有し過ぎた気がします。

<お知らせ>
ピアノライブはまだ若干、空席がありますが準備の関係もありますので、間も無く受付終了となります。まだお申し込みでない方は早めにどうぞ。
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2022-10-17の雑記:私の音楽はどこからくるのだろう

創造性はとても素敵なものです。

自由に思うがままに、内なる精神性が指先を通して外に生まれてくる。生み出したものは、そのまま現実世界に波紋を広げていく。

ある人はそれを芸術というかもしれない。センスがいいとか、面白いなんてコメントがつくかもしれない。

けれど、生み出す者は「ただ生まれ出てくるもの」をあるがままに見つめているだけではないだろうか。

人から良く思われようとか、コンテストで入賞しようと計算するのは不自然な気がする。

あるがままの自然体で、それでいてなぜか内側から生まれてきてしまったものたち。

それらに自分が愛情を持てようと持てまいと、生まれてきたものは気配を放ちます。見た人、感じた人の心や精神に響いていきます。

結果はどうあれ、生み出したものは「一人あるき」させたほうがいいのではないだろうか。

自分も演奏家の端っこにぽつんと居る者として、自分の音楽を聴きたい人なんているのかな?こんな下手な演奏で満足する人なんているのかな?今でも、こんなふうに思うことがあるけれどキリがないので考えないことにしました。

何かを生み出してしまう人は必ず「傷」があると思うのです。痛みともいえるかもしれません。

心が感じてきた痛むもの、疼くものがたくさんあります。それらを味わうことは辛く苦しいものだった。今でも日々、痛みを覚えます。それらが糧になってエネルギーとして生まれ出ようとしているのだな、と思います。

痛みをそのまま表すのではなく、光に還す、希望という別なエッセンスをまとった波動に変換することができれば本望。

多分、それもまた私のミッションなのではないかと思うのです。

演奏は拙いんだけれど、魂が奏でるのでしょうね。ちなみに全て即興演奏です。音楽的には一切の準備がありません。譜面も書きませんし(そもそも楽譜を見ながらピアノを弾くほど器用ではないし)、リズムも調性も事前に決めたりしません。IMG 3760

2022-10-14の雑記:流されない杭

今日はそれでも少し落ち着いた秋模様。観光客が少し戻ってきましたね。

しかしながら、心はどこか落ちつかない。理由もよくわからない。

そんな時流なんですね。

もう安らぐ、ということがすっかり難しくなってしまいました。けれど時は容赦なく過ぎていきます。日常を地に足つけて暮らしていかねばならない私たちにとって、心が穏やかでないものをどうにかする余裕が失われつつあるかもしれません。

現実は心がどうあるかで変化します。

ということは現実が荒れてしまったら、もう心が調和を失っているサインですし、もっといえば「少し以前からそうだった」ものが、少しずつ現実化しているともいえます。

一旦、不安定な流れが現実化してしまうと、そう簡単には元に戻りにくくなりますので、それでもなお心を穏やかに過ごそうとすると、本当に難しい。

なんという時代なんだろうと思います。

少しでも、わずかでも、皆さんの心が穏やかに過ごせるような支えになるのが私の使命なので、できるだけのことをするのみです。

どんなに厳しい状況でも、不安という濁流に流されないように、小さな杭を打つことはできます。打てる杭があれば。ほんの一時、安らぐこともできるかもしれません。風除けがあれば。

私が皆さんの杭になり、風除けになりましょう。

今月末、開催のピアノライブもひとつの小さな杭になります。まだお席がありますので必要な方にお渡しできると思います。

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