今日の徒然:新月、そして魂のレッスン

ちょっとぐらっと揺れてびっくり。夜中に揺れると、とても不安な気持ちになります。特に今日は新月なので、いろいろなことが始まり、そして終わる。そんな日です。

新しい自分に出会い、対話し、これからの新しいサイクルを上手にスタートを切りたい。そんな方との出会いが新月の前後には多いです。

皆さんは知らず知らずのうちに、導かれ、自分にとって、一番いいタイミングで魂のガイドからメッセージを受け取っていますね。そして、自分では気づかない「心の声」をきいたり「身体からのメッセージ」に気付かされたり。過去の出会いから改めて感謝を学んだり。辛かった経験がなぜ必要だったのかを理解して、受け止め、不完全な自分を受容し、新しいスタートをきる糧にできたり。どうしようもない状況を、自分に有利な状況に切り替える心のしなやかさを身につけたり。そんなふうにスピリチュアルな変化を自分のものにしていきますね。

現実はあくまで私達が魂を磨く為の、教材のようなもの。周りに用意され、横たわり、がんとして動かない。そして時と共に刻々と変化していく大河のようなもの。自分はといえば現実に翻弄される木の葉のような小さな存在。ところが自我というものは、自分が小さな木の葉だとは思っていない。とても強い意思をもっていて、生きる意味を日々追求してやまない。無意味な時間には怒りをおぼえるし、成し遂げた結果には評価をもとめる。疲れればなにもしたくなくなるし、高揚すれば騒いで発散したくなる。獣と同レベルのどうしようもない本能もやどしている。大人になれば面倒な役割を演じていい人になるしかない。役にはまったら最後、本当の自分は押し殺して還暦後の余生に期待するしかない。すべてが自己中心で、身体と、心が満たされることだけを日々追求してやまない。それらが満たされなければ「たまたま自分はついていなかったのだ」と思う。それが人生というもの。

けれど、私達の魂は現実に満たされることを求めてなんかいない。富も名声も裕福な暮らしも求めてなんかいない。誰かにやさしくされたいとも思ってなんかいない。魂がこの世に生まれ変わってきて苦労を背負うのは、素敵な人に出会う為でもなく、家庭を持つためでもなく、奉仕をする為でもない。

魂は愛を受け取る為に、この地上にやってくる。

神様の愛という永遠の光を探し求めてやってくる。

それを簡単に見つけられる魂もあるけれど、何百年も、何千年もかけてゆっくりみつけていく魂もある。それぞれが、それぞれの探し方をもって生まれ変わってくる。それほど、この地上には愛の光がそこら中にころがっている。誰でも、幾つでもそれを見つけられる可能性がこの地球上には秘められている。ダイヤや金は有限だけれど、神様が隠した愛の光の粒子は無数にある。魂はそれを見つけにやってくる。私も、あなたも、あなたの周りにいる人もすべて。探しものは同じ。ただ、それぞれのやり方がある。それぞれのタイミングがある。そして、それぞれ「その他にもたくさんの用事」を抱えている。お世話になった人に恩返しをしなければいけなかったり、特別なお仕事を神様から委ねられていたり、仲間をみつけて支えたり。それぞれが産まれてくる目的がある。けれど、本当はたった一つの共通の目的にむかって地球上にやってくる。すべての魂は自分磨きをしながら、自分自身が神の愛の光となる。そうやって何万年も、何十万年も、この地球や、まわりの星や、星雲や、違う次元や、もっと別な宇宙やら、さまざまな世界でもっと多くの魂達は学びを深めつづけている。

でも、私達は、自分のことだけ考えて生きていけばいい。そういうふうにできている。この地球上では、そうするだけでいいことになっている。自分が存在する意味をしっかり掘り下げ、自分だけの目的にむかってまっすぐ進んでいけばいいことになっている。結局、それが地球全体の為になる、ってことになっている。

そういうわけだから。また次の新月にむかって、自分の魂が求めている生き方ってなんだろうと考えてみてほしい。その次に、今の自分の心の声、身体からのメッセージを受け取る練習もしてほしい。

魂のガイドはみんなそれぞれについているのだから、魂のレッスンを受けたいと思えば、その瞬間から学びはスタートできる。教材は願った瞬間に届く。そういうことになっているから・・・。