シンプルな思考のワーク

というのを人に教えている手前、自分でも実践してます。

シンプルになる、という変化は恒久的なものなので、根本からエネルギーバランスが変わってしまいます。その反動はかなり大きいです。

あ〜だめだ。こんなテクニカルなことを書いたらシンプルどころではないな。でも、シンプルな思考に行き着くには、複雑なプロセスが一旦は必要になってしまう。そこは必要悪かな。

断捨離とは、一旦、混沌に陥ることなり。

文月二十八日の雑記:シンプルに生きる

あまり社会情勢にはコメントしない主義です。
コメントするより、コミットする主義なので。

毎日、想定外のことが起きていて、これからも続く気配です。
想定外の事態に備える方法はひとつしかないと思っています。

それは、あらゆることをシンプルにすること。

ここから先、言語化するとシンプルじゃなくなるので、以上ということにします。

ブログもシンプルが一番、伝わるのでは。

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お知らせ>10月はピアノ公演があります(追加写真あり)

数年ぶりのピアノ演奏をメインにした公演を開催します。

パブリックな告知はかなり久しぶりですね。

<ピアライブ2022 概要>

・日時
2022年10月29日(土)

午後2時開場
午後2時30分 開演
午後6時30分 懇親会
午後8時30分 終了

・会場
芸森スタジオ(札幌市南区)

<お申し込み方法>

9月中旬ぐらいに受付け専用ページを公開しますのでお待ちください。

<参加費>

¥8,800(懇親会込み)
¥7,150(演奏会のみ)

<定員>

演奏会:50名
懇親会:35名

<お申し込みいただける方>

・サロンにご来訪歴のある方、及び招待者

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今日の雑記:本は出さないけど、出る可能性がないとは言わない話

私のブログを本にしてあげますという奇特な出版社さんがあったらご連絡ください。その場合、私は印税はいらない。

本が出たらそれで救われる人がきっといるのでしょう。

今までもそうですが、今後もサロンの運営や私の活動にメリットになるから本を出しませんか、というオファーには乗らないし、告知のために本を出すメリットがないんです。

でも、本の業界も大変だろうし、私のブログのようなコンテンツを本にして、本屋さんや出版社さんが少しでもメリットがあるなら私はそれだけでいいんです。

本屋さんにはすごくお世話になったことがあるのでいつかどこかで恩返しができればいいかな。

文月十八日の雑記:混沌から生まれる明日

もう77年、でもまだ77年。

沖縄戦で。シベリア抑留で。私の先祖が一人ずつ亡くなっています。

先祖といっても母の世代は共に暮らした記憶がある人たちですから。さほど遠い昔ともいえません。亡くなった先祖の写真も残っています。

が、骨はもちろん返ってきませんでしたし、亡くなった時の詳しい事情もわからないままです。

何もわからないのも不憫だと思い、外務省経由で入ってくるロシアの新しい資料を精査して、亡くなった地名を発見したのはほんの数年前のことでした。

ロシアの役所にも、日本人遺族のことを考えて、地道に資料を保存、整理し、わかりにくい日本人の名前をローマ字で注意深くパソコンに打ち込んでくれた人がいるってことなんです。

戦争はお互いが敵同士になってしまう。でも、必ず和解し、共存し合える時期がきます。

けれど一方で新たな火種が勃発してしまう。人類は延々と同じことを繰り返しているようにみえます。

でも、どうでしょう。こんなにも私たちの人生観や生きることの価値観が揺さぶられる時代もなかったのではないでしょうか。

当時は生きるか否か。究極の二択を迫られた時代でした。

でも、今はただ生きることではなく、自分らしく生きられるかどうかが重要な時代になってきたと思います。

物事の価値観が根底から覆されることが増えました。そのたびに私たちは、生まれてきた意味を問われていくことでしょう。

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良いこと悪いことは一対

物事には必ず「光」と「闇」の両方の要素があります。

私たちは良いこと(光)ばかり追い求め、悪いこと(闇)を嫌悪する傾向があります。
結果的に良いことをさほど享受できず、悪いことにとらわれすぎるようです。

悪いことの比重が多いと、ついてないとか不運だと嘆きます。

実際、明るく元気な人の周りにはやはりたくさん良いことがやってきやすいものです。

そうはいっても人間、常に明るく元気でいる、というのもなかなか酷なもの。

内面は疲れたり、不安になったりするのが当たり前なのですから。

表面的な明るさを保って、周囲の人には感謝されるかもしれませんが、自らの内面がどんより沈んでいては、最終的には帳尻が合わない人生で終わってしまうかもしれません。

長い目で見た時に、どういう生き方が魂にとっては意義のあるものなのか、という視点で考えておきましょう。

目先の良い悪いにはとらわれすぎないことが肝要です。

一見、悪いこと(闇)に見えても、その反対側に必ず良いこと(光)が隠されているものなのです。

闇はいつか必ず光に反転します。

一方で、光もまた闇の性質を持っています。

両方で一対なのです。偏った見方をしていると、どうしても闇に対する恐れが消えてなくなりません。

良いことも悪いことも同時に存在するし、どちらも必ずやってきます。それがこの世の条理というものです。

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文月十六日の雑記:満月の戯言

時々、戯言を書きます。
が、単なる私の哲学的な思考だったり、雑多な想念の吐き出しているものにすぎません。
読み飛ばしていただいて結構です。

特にカテゴリーが「ポエム」になっているジャンルは、単なる空想、妄想の産物ですからね。

個人ブログだからご了承ください。

暑いようなそうでもないような、微妙な天気が続く夏です。
引き続き熱中症には気をつけましょう。
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無という怖れ

国家権力と断絶し、人生のすべてをかけても人の命を守ろうとする行動をとる人がいる。その情熱は「何かを信じているから」ではないだろうか。

いったい何を信じれば、そこまで強い行動がとれるのか。

私たちの信じる力はどこからくるのか。

私はいつも私に問いかけている。

私に力がないのはなぜなのか。

なぜ私はこんなにも無力なのか。

なぜこの世には間違った行いがはびこり、弱い者や守られるべき者が犠牲にならねばならないのか。

誤りが正されるために神の裁きがあるのなら、それは今すぐに行われるべきではないのか。

私は神に、宇宙に問いかけています。

こんなにも世の中、疑問だらけの時代はありません。

こんな時流の中でどこに信じるものを見出せばいいのでしょう。

命にかえてもいいと思えるほどの熱い生き方を可能にしてくれる機会があるのなら、それはどうすれば得られるのでしょう。

無力な私は、問いかけることしかできません。

それしかできません。答えのない問いかけです。

それがこの先、一生、続くのかもしれません。

人生は踏み絵のようだと思います。

隠れキリシタンの疑いをかけられた者は、聖母の絵を踏まねば処刑されます。

が、信仰を絶ち、絵を踏めば解放されます。

自分の魂より大切なものを踏みつけることができようはずもない。

できるはずのないものを強制するのが権力です。

しかし、権力は実は無力です。

形だけ踏んでも、心を折っても、魂が死んでしまっても、

それでも神の愛は消えないからです。

しかし、それを証明することができないのです。

証明できないものを伝えることはできません。

故に私は無でしかありません。

あなたたちは愛されているのに、それを伝えたくてもかなわないのです。

だから、私は問いかけ続けるしかありません。

なぜ、皆、盲目なのですか。

私には見えるのに、なぜ他の者には見えないのですか。

一体、私は何のためにこの世に遣わされたのですか。

その意味があるのなら、私に役目があるのなら、それを果たすべきは今ではないのですか。

今でないのならその時はくるのですか。

答えはありません。

このまま、無のまま終わる人生なのかもしれません。