暑かった日もありましたが、去年までに比べれば北海道は過ごしやすかった。でもそれはたまたまなんでしょうね。全国区で見ればどんどん進んでいる気候変動。穏やかに暮らせる日常が戻ってくることはなさそうです。
満月は内なる闇をどんどん暴いてしまいます。けれど、これだけ水の浄化が激しいと、それどころではない気がします。流されていくのなら全て委ねるのもいいのかもしれません。
(AIによるイラストです)
暑かった日もありましたが、去年までに比べれば北海道は過ごしやすかった。でもそれはたまたまなんでしょうね。全国区で見ればどんどん進んでいる気候変動。穏やかに暮らせる日常が戻ってくることはなさそうです。
満月は内なる闇をどんどん暴いてしまいます。けれど、これだけ水の浄化が激しいと、それどころではない気がします。流されていくのなら全て委ねるのもいいのかもしれません。
(AIによるイラストです)
私は治療家と言えるほど病気を治してきたわけではないですが、相談の流れの中でご本人、ご家族含めて病気になった経緯を伺うことが多いです。そして最近、何らかの病気を発症してしまう人が急に増えてきたことを実感します。
最近のご相談の中で本当に増えているのが残念ながらガンです。私のようなところでも増えているのですから、医療の現場ではもっと大変な状況なのだろうと推察されます。
私は健康法としてケイシー療法をお勧めしていますが、本来のケイシー療法は積極的に深刻な疾患の治癒を導くようなリーディングが多かった。けれどもその知見が実際の医療現場で応用されることはあまりありませんでした。
でも少しずつでも医療の現場でケイシー療法が積極的に取り入れられはじめていることを知って、良い時代になったと思います。
誰でも家庭内で実践できる方法もたくさんあるので、ケイシー療法に触れたことがない方でも、まずできるところから試してみるのもいいと思います。今は健康であっても、予備知識として持っておくだけでも価値があると思います。いつ体にどんな変調が起きるかどうかは、予測がつかないですから。
私も最近、幾つもあるケイシー療法の一つを試しはじめているところです。どんな変化があるか楽しみに取り組んでいます。
そして、こちらの記事がとても興味深かったので紹介しておきます。膵臓癌が改善する例もあるようなので、諦めていた方には大きな福音になりそうです。
ケイシーのガン治療とフラーレン体験
心とオーラの中間チェック
満月が静かに過ぎていき、張り詰めていた気持ちがふっと緩むのを感じていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
その一方で、九州での大きな災害のニュースに心を痛めている方もいらっしゃると思います。こういう時期だからこそ、ひっそりと気をつけていただきたいことがあるのです。
それは、「自分自身の表情が、いつの間にか重く、暗くなってしまっていないか」ということ。
普段から、周りの人と何気ないおしゃべりをして心を通わせる習慣がないと、自分の表情が曇っていることに自分自身ではなかなか気づけないものです。「私は大丈夫」と思って鏡を覗き込んでみても、自分で自分の表情を客観的に見るのには限界があります。
表情が暗く沈んでいるとき、いわゆる「オーラがくすんでいる状態」になってしまいます。この状態をそのままにしておくのは運勢的も良いことではありません。
月のリズムと、先送りのスパイラル
月の満ち欠けのリズムで言うと、満月から新月に向かうこれからの2週間は、心の中に溜まった不要なくすみをどんどん手放していく、とても大切な「デトックス」の時期にあたります。
けれど重苦しさを引きずって、手放すべきだったくすみを次の新月以降のサイクルへとそのまま持ち越してしまうと、エネルギーがさらに重くなっていく悪循環が始まるリスクが高まります。
次の新月が訪れるのは8月中旬、ちょうどお盆の頃です。
この時期は夏真っ盛りで、ただでさえ体力を消耗し疲れが出やすいタイミングです。本来なら、お盆の時期は体の負担をできるだけ減らして、ゆっくりと心身を休めるべき時。そんな時期にエネルギーの浄化ができないと、その疲れや重さは秋、冬へと引きずられ、年を越えてしまいます。そして、本来なら「新しい一年の始まり」として軽やかにスタートすべき次の春になっても、今年の夏の疲れをそのまま背負って歩き出すことになってしまいます。
気づかないうちに次のリフレッシュのタイミングが翌年、さらに翌年の春へと持ち越されていく。気づかないうちに、心と運勢の衣替えがどんどん先送りになり、何年にもわたってネガティブなサイクルに足を取られてしまう……。今、そのような分岐点に立っているとも言えそうです。
「私は順調だから大丈夫」というときこそ
「でも、私の心には今、何の不安もありません。むしろ順調で、運も向いていると感じています」
そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。
けれど、私のブログで以前もお話ししたように、「何もないから大丈夫」と思い込んでいるときこそ、実は一番油断できない「注意報」の時なのです。
自分では順調だと思って進んでいても、客観的に見ると、実は見えない沼に足が少しずつ沈み込んでいる最中だった……ということは珍しくありません。魂や運命のレベルで起きているわずかな変化や「沈み込み」は、本当に自分自身では自覚しにくいもの。
だからこそ、一人で悩みを抱えている方はもちろん、「今、私はとても順調です」と感じている方こそ、客観的なコンディションのバランスチェックをお勧めしたいです。
精神的に、孤立しないことが大事ですよ
この時代を心地よく、健やかに乗り越えていくために一番大切なこと。
それは、「精神的に孤立しないこと」です。
これは「たくさん人がいる場所に行きましょう」ということではありません。物理的に一人でいるかどうかではなく、あなたの心が「誰かとちゃんと繋がっている」と感じられているかどうかが重要なんです。
どんなに小さな不安でも、あるいは「順調です」という嬉しい報告でも、誰かに言葉として投げてみる。そうして「確認する場」を持つことで、自分の表情や、オーラの状態に初めて気づくことができます。
お盆を控える8月は「中間チェック」にぴったりの節目です。新月に向けて、今だからこそ整えられる心の準備があります。
「もしかしたら、私の心も少し重くなっているかしら」
「最近、誰とも深いおしゃべりをしていないな」
そんな風に思われたら、どうぞ一人で抱え込まずに、会いに来てくださいね。
心穏やかな新月を迎えられるよう、いつでもここでお待ちしていますね。
(原稿は100%私が書きました。AIによる推敲度50%です。)
8月はまだ十分に空いています。
中旬は、定例の勉強会の開催月なので8日間、埋まっています。月末にかけてオンラインの動画制作があり、予定が立て込みます。すると月の前半と月末に少し予定が組める日が残ります。
また、個別のレッスンで定期的に来られる方もいるので、ご新規の方が予約しずらい状況がずっと続いています。
サロンの受け皿は本当に小さいですし、私も体力的に無理がきかなくなりました。でも私の磨いてきた技術とエネルギーの伝達方法が間違いなく良い結果をもたらすことも明らかなので、一人でも多くの人にお渡しできたら、と本当に強く願っているのです。
今、私が思っていることを少しだけ書いておきます。特にカウンセリングを受けようか迷っている方、こんなことで相談に行っていいのか、なんて躊躇している方。自分に光のレッスンは効果があるだろうか?どういう内容なんだろうか?というような思考がぐるぐる巡っている方。
私もそうだったので、多くの方がそんな感じだと思います。
私が皆さんの立場だったら、胡散臭いし、よくわかんないし、あまり安くないし、意味があるかどうか事前に判断できないものを申し込みようがないよなあ、と思うでしょうから。よくわかります。
でも、私の場合はここに至るまでの人生を振り返るなら本当に見えない力に背中を押されました。それぐらい私は30代後半にかけて煮詰まっていました。生きる意味を見失っていたし、疲れてもいました。音楽だけで生きていけそうにもなかった。かといって会社員とか組織に属して生きる道も完全に閉ざされていた感じでした。
一方で、見えない世界のことは興味もあったし探究したかったけれど、それはあくまで趣味だったり偶然、親がそういう体質だったり家系的にそんな血筋だったりで。自分の意思としては「見えない世界」との関わりだけで生きていけると思っておらず、まして生計を立てるなどとは、千年かかっても無理と固く信じていました。
それなのに。今の私ったら。当時の私を完全に裏切りましたね。あの時の自分の中にあった「本当は惹かれているのに、完全拒否」の思考はなんだったんだろう?と思います。
今でも100%のめり込んでいると言えるかどうかわかりません。が、現実に囚われて生きていた当時と、今は非現実(見えない世界)にしか真実はないし、全ての現象は見えない世界の投影でしかない、という事実は99.99%受け入れて生きていると言える気がします。
そして、この考え方は最先端の物理学者も全く同じことを言っているので。私は今はこうして霊能者として生きているんだけど学生時代までは、物理学者か電子工学のエンジニアになりたかった。それなのに何故か神様は私から「数学の時間の集中力」を全て奪ったので、居眠りしている授業でいい点数が取れるはずもなく。それを3年続けたら浪人したところで工学系に進めるとは思えず。やむをえず急ハンドルを切って、ピアノを練習し、ソルフェージュと声楽の個人レッスンを受け、教育大学の中学校課程音楽専攻、という学部に潜り込みました。熱心な先生にご縁があったことや家族の協力体制などもあり、何故かスムーズに進めたんです。が、大学在学中3年目でパソコンが世の中に出回り半年ほど独学でプログラミングを習得して、学業を蹴ってとっととゲーム業界に潜り込んでしまった。思えば高校3年目の転向といい、大学3年目での転向といい、本当にいい加減で支離滅裂な人生。それなのに、まあまあな落とし込みができていく。人生を振り返るなら、あまり意味のないと思われていたピースでもここにきて大きく存在感を増していく気がします。今の自分から電子工学とパソコンの経験や音楽の基礎を短期間とはいえ集中して学んだ経験がなかったら、今こうして活動していられなかったと思うのです。
でも2001年で私は人生を完全にリセットしました。そしてサロンを一人で立ち上げてここまできました。
私が信じたのは「内なる声」でした。神の声、ではないです。内なる声、です。言い換えれば、「そっちにしか足が向かなかった」ということです。何日も何日もこの街の中を歩き回りました。でも、どうしても神宮の周りにしか行く気がしなくなった。自分でそこに辿り着く、自分で内装も手がける、とにかくサロンを作る、という方向にしか動けなくなっていきました。
なんの経験もないのに、突然カウンセリングを始めました。当時も今も同じ料金なんですよ。経験ゼロなのに、どうして始められたのか。
それは「来るべき人を待つのが私の役目」だからです。最初からそうでした。今でもそうです。
私の人生の紆余曲折って、結局、「あなたを待つ」ためなんですよね。
いつもお待ちしています、と書くんですけど。結局、それしかできない私なんですね。そのように神が仕向ける、のではなく、そのようにしか私は生きられないようにできている、ということでした。
何を言いたいのかわからなくなりましたが。あなたにお会いできるのを心から楽しみにしています。神様も天使たちも精霊たちも待っていますので。お早めにどうぞ(結局、そこかい!)
でも、これが私の告知のやり方。こういう書き方しかできない・・。
##この記事のAI使用率:0% (→手書き率100%)
昨日、熊本で大きな地震がありました。被災地の皆さんには心からお見舞い申し上げます。今も救助活動が続いていると思いますが、遠くから見守りたいと思います。
2016年の熊本地震があった年、私はピアノを弾きました。ゲストで知人を招いて数十名の方の前で、復興への祈りの音楽を披露させていただきました。
皆さんは祈りますか?
どうしようもないことが起きてしまった時
自分が無力で小さくて絶望してしまった時
そんな時、私は祈るしかないと思って生きてきました。
自分の身にも震災の被害が降ってきたこともあります。身近でも体験し、遠くから同胞の痛みをなん度も味わってきました。本当に日本は自然災害の多い国だと思いますが、もはや近隣諸国もさほど変わらないのだということも見えてきました。
歳を重ねたから見えてくるものもあるでしょうが、それ以上に時代が変化していく、地球全体が大きく動いていく、と言わざるを得ません。
私のオンライン勉強会で、先日、日本は一つの意識体であるというお話をしたばかりなのですが。今回の地震でも私は強いメッセージを感じます。ブログで公開するような内容ではないと思いますが、でも知りたい人や知るべき人には伝えたい思いもあります。ネットで(一般公開)の発信を私は基本的にしていないのです。変えるべきだろうか?と思い悩むこの頃です。
今、お伝えしたいことを一つだけ。
災い転じて福となす、という言葉あります。
英語ではBlessing in disguiseと置き換えられます。訳すと同じような意味ですが。ニュアンスがだいぶ違う気がするのです。
日本語の持つニュアンスは、自分の視点を変えましょう、考え方を切り替えましょう、ではないかと。私はそう感じるのです。つまり「あなた次第でどうにでも受け止められますよ」と。もっと言えば「どんな苦境でもめげずに、へこたれずに力強く前進し続けましょう」とも聞こえます。
本当にそんなことを言い続けていられるでしょうか。私自身の中にはもうそんな気力が残っていない気がします。自分が無力すぎます。そして無力であるということに逆らえる気がしません。
でも英語の「Blessing」には希望を感じます。
エンジェルカードでもよく私はこの「Blessing」のキーワードを引き寄せます。日本語で一番、近い言葉はなんでしょうか。一般的には「祝福」というのかも。でも、今、私が訳すなら「委ねる」です。
「天の意思に委ねなさい」です。
これからも災いはやまないと思います。安心して暮らせる時代はもう戻ってこないかもしれません。であるならば「天に委ねる」という気持ちを持ちながら生きるしかないような気がしています。
祈りも天に委ねる、です。委ねる、は祈るよりもさらに「お天道様任せ」のニュアンスが強いです。何もかも委ねる、です。そうすれば「祈ることすらできないほど絶望していても、希望が受け取れる」気がするのです。
何があっても希望を受け取りましょう。そういう時代なんだと思います。

夏も真っ只中。少しは涼しいといいなと思うけれど、そんなに甘くはなかったですね。
タイトルの一行は、私の発行している月占い(風のスコラの中で配信中)の今週の見出しなんですが。
私たちを取り巻く環境の中には、物質的に見える部分と、見えない部分があってどちらかというと「見えない部分」がほとんどなんです。つまり私たちが見ている世界は、「ほとんど真実とはかけ離れている」のでしょう。すると、見えない部分で動いている仕組みによって私たちの未来は定められていくわけで、そこが少しでも見えるならおそらく絶望よりも希望が浮上してきます。
しかしながら、私たちは現実にとらわれてしまうので、そこが難しいところなんです。
私はあまり人を促したり、せっついたりしないタイプですが。そろそろ準備はされた方がいいです。あふれだす、のはまだ序の口なので。見えない世界は大きく動いています。その余波で現実世界が嵐のような状態になっていくんです。見えない世界の方に意識を少し向けるだけで希望は見えます。

円山公園の片隅に誰の目にも留まることなく、ひっそりと咲いている額紫陽花を見かけました。
数日前、ピアニストのウォン・ウィンツァンさんが札幌でのコンサートにいらして、1年ぶりにお話しする機会がありました。相変わらずのウォンさん。30年前から一貫して表現者としてのあり方を淡々と貫き続けている、本当に素晴らしい大先輩。私の音楽表現の出発点のような存在です。あとはできるだけ長く活動を続けていただきたいです。
ウォンさんの音楽に出会った当時の私(30代後半)は、自分の作った音楽が世に出ても実感が湧かず、「自分は何者なのか」と日々もがいていました。あれから月日が流れ、今の私には「人と比べること」はもう意味を持たなくなりました。世の中には凄い才能を持つ人が次々と現れます。そこと競うのではなく、自分の中にある比較の心を徹底的に削ぎ落としたとき、最後に残るのは「ただ感じるもの」だし、それを音楽で表していくだけなんだよねと。この歳になってようやく心から気付いた次第。遅すぎかもしれないけどね。
ただ、不思議なもので。私にとって音楽がない世界は考えられないのに、実はもう何年も人前でピアノを弾いていません。決してスランプというわけでもない。ただ「ピアノを弾きたい」という欲求が今の私にはほとんどないようです。音楽を表したいという確信はあるけれど、「どうしてもピアノじゃなきゃ」というわけでもない。鍵盤楽器という括りでいうならピアノ以外の音色も無数にあるのだし。ピアノの音色にさほど固執していないだけ、ということでしょう。
ひっそりと咲く花のように、これからの私がどんな音色で表現していくのか。大先輩との再会を機に、新しい模索をつらつらと楽しんでいるところです。


もしかしたら、どこかにこんな方がいらっしゃるかもしれないな……とふと思い立って、この記事を書いてみることにしました。
これからお話しすることは、私が子供の頃からずっと感じてきた、とても個人的な体験です。同じような感覚を持っている方がいらっしゃるかはわかりませんが、もしこの記事を見つけて、「あ、もしかしたら私もそうかも」とホッとしていただけたらな、と思っています。
子供の頃の私は、いつも「誰かが私を見守ってくれている」と感じていました。それは両親や家族といった現実の人ではなくて……ふと視線を感じて、空や天井を見上げてしまうような、そんな感覚です。もちろん姿は見えないし、声も聞こえないのですが、「いつも頭のずっと上の方から、何者かが私を見下ろしている」。そんな、半分妄想のような不思議な確信をずっと抱いていました。
でも、大人への階段を上るにつれて、いつの間にかその感覚を忘れてしまっていたんですよね。それが、30代の後半か40代に入った頃……「ずっと側にいてくれたのは誰だったのか」を一瞬で思い出した日があったんです。
そのことに気づいた瞬間、私の中で張り詰めていた「生きることの緊張感」が、すーっと解き放たれていきました。全身の力みがほどけていって、体の隅々にまで「ああ、もう何があっても大丈夫なんだ」という、深い安らぎが行き渡ったのを、今でも鮮明に覚えています。自分がこの世にやって来る前、どんな温かい存在と一緒に過ごしていたのかを心から確信して、本当の自分を取り戻したような、そんな衝撃的で愛に満ちた体験でした。
その時、私の中に満ちあふれてきたのは「人を導く力」でした。もちろん、私自身にそんな力があるわけではありません。ただ、私という「器」を通して、背後にいる聖なる存在が皆さんを導きたがっている……そう気づいた時から、私の本当の人生が始まりました。
生まれる前にいた世界での、聖なる存在とのつながりを取り戻し、この世界で彼らの「手」となって活動できる器を持つ方は、きっと他にもいらっしゃると思います。
私のように導く役割を担う方もいれば、知恵を授ける方、背中を押す勇気を与える方。そして「癒す力」を受け取って、傷ついた誰かに優しく手を差し伸べる資質を持った方も、少なからずいらっしゃると思うんです。
ただ、聖なる存在たちは直接言葉を届けることができません。だからこそ、その素晴らしい力に目覚めるための方法やタイミング、そして安全につながるためのコツが必要になってきます。私はこれまでの経験を通して、その大切なノウハウを受け取ってきました。
もし、この記事を読んで心が動いたり「もしかして、私のことかもしれない……」と感じる方がいたらなるべく早めに会いに来てくださいね。
私も、できるだけ長くここでお待ちしていたい気持ちはあるけれど、現実世界での時間はどうしても限られていますからね(笑)。お会いできる日を、心からのんびりとお待ちしています。

(光のレッスンのご案内記事です。これから少しずつ載せていきます。)
あなたを通して、誰かが癒されるかもしれない。
あるいは、救われるかもしれない。もしくは、幸せになれるかもしれない。
今日は、これを読んでくださっている皆さんへ、祝福の気持ちを込めてこんな言葉を贈りたいと思います。ご自身に対して、少しだけそんな目線を持ってみるのはいかがでしょうか。
誰しもが持っている愛の意識を広げたり、誰かに手を差し伸べようとその意識を高めていく方向を目指すと、見えない世界からの大きなサポートって、やっぱり受け取りやすくなるんですよね。
ただ、その時にすごく難しいことがあります。
いまの社会の常識だと、「誰かから必要とされて初めて手を差し伸べよう」という発想がメインになりがちだと思うんです。でも、本当は誰かに必要とされるかどうかを気にしたり、とらわれたりしてはいけないんですよね。
求められていようがいまいが、「自分は手を差し伸べたい」「誰かを幸せにしてあげたい」というエンジンがかかっているかどうかが大事なんです。
そして本当に難しいのは、そのエンジンをかけたまんまにしておくこと。
人に優しさを自発的に与えようというエンジンは、発電機と同じで、ガソリンが切れたらシュンと止まってしまうんですよね。
じゃあ、エンジンが止まらないように、どうやってエネルギーを供給し続けてあげられるのか。逆に言うと、その「エネルギーの供給源」を見つけることが先決なんです。
なんの見返りも求めていなくても、困っている人を支えたい、寂しい人を癒やしたい、辛い人の辛さを引き受けてあげたい。
十分な準備が整っていれば、「こうしてあげたらいいよ」という導きのようなものはどんどん降りてくるようになります。
でも、愛のエネルギーを与え続ける力を「どこから受け取り続けるのか」という部分が、一番難しいところだと思うんですよね。
これには本当に経験値が必要ですし、理屈ではありません。でも、そういうエネルギーの供給源にしっかりと繋がる仕組みが、本当にあるんです。
もしこういうお話に興味がある方は、私のサロンにいらしていただけると、「本当に可能なんだな」ということが見えてくると思います。
実際、それを実現し始めている人、つまり目覚め始めている人が少しずつ現れてきました。もう、そういう時代に入ったんだと思います。
このブログを読んでくださっている方の中にも、半分目覚めかけていて「なんかいい匂いがするな」と嗅ぎつけている方や、とっくに目覚めているけれど突破口が見つからないという方がいらっしゃるかもしれませんね。
お一人お一人の状況に合わせたサポートの準備は、もうすっかりできています。
ただ、タイミングやきっかけというものは、待っていても来ないですからね。ご自分で「えいやっ」と重い腰を上げていただくのがいいのかなと思います。
少し勇気は必要かもしれませんが、決して怖いことはありません。取って食ったりはしませんので(笑)。
優しくお話を聞いて、何をどうしたらいいか、分かりやすく具体的にお伝えしています。過去の経験値やスキルなんて全く関係ありませんので、興味がある方は、まずはお話だけ聞きに来るという感じで大丈夫ですよ。お待ちしています。

「何もないから大丈夫」って思い込んでいる状態が、じつは一番あぶないんです。
湿地帯を歩くイメージで考えてみてください。くるぶしくらいの沼なら、体力は奪われながらもなんとか進めます。でも次の一歩で膝まで沈んで、さらに両足が30センチずつ埋まったら——もう自力では抜け出せなくなっちゃうんですよね。
こういう影響って、自分ではなかなか気づけないんです。体調を崩したとか、転んだとか、そういうことなら誰でも気づけるんだけど、魂や運命のレベルで起きていることって、自覚しにくい。
だから、何もない時こそ油断しないでほしいんです。小さな出来事も「これって何かの兆しかも」って受け取る感覚、大事にしてほしいんです。それが良いサインなのか、注意サインなのかって判断が難しいからこそ、確認する場を持ってほしいと思います。
